遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

コロンビア ボジャカ県 (州)  Tasco での炭鉱落盤事故: 最終

コロンビアボジャカ県 Tasco の炭鉱落盤事故の犠牲者お二人のご遺体が、発生から1ヶ月の11月11日04:50ようやく収容されました;


Comunicado de prensa 083 de 2010
  Bogotá, 11 de noviembre de 2010 (監督官庁 INGEOMINAS プレスリリース (pdf)


Rescatan cadáveres de mineros en Tasco
  Jueves 11 de Noviembre de 2010 22:59 Excelsio (ボジャカ地元紙)


やはり落盤など坑内事故は、発生してしまうと死亡事故につながる確率が高く、かつ救出なりご遺体の収容に大変な困難を伴います。チリのコピアポ鉱山で起こったことは奇跡と呼ぶべきであって、次回は期待出来ません。


コロンビアでのこの事故では、いのちは助からなかったもののご遺体は収容出来、ご遺族の 「キリスト教徒らしく葬ってやりたい」 と云う願いだけはかなえられましたが、それさえかなえられなかった炭鉱事故も少なくはありません; ⇒ 炭鉱 - Wikipedia の 「日本の主な炭鉱事故」 に限りませんが、事故の際の 『行方不明者』 とはご遺体が収容されなかった犠牲者のことでしょう。


日本の石炭産業の崩壊を早めたと言われる、1981年発生の 北炭夕張新炭鉱ガス突出事故 - Wikipedia のこともよく覚えています;

−−−行方不明者を見殺しにする注水作業は、事故当時でもショッキングな出来事であり、注水の行為の是非や実施のタイミングが世間で多くの議論を呼んだほか、炭鉱のイメージそのものを失墜させた。


日本の石炭業界は、当時のオイルショックによる石炭見直しの風潮の中復活の機運もあったが、この事故によってその希望は吹き飛ぶ結果となった。それに拍車をかけるように、三井三池炭鉱有明坑内火災1984年、死者83人)、三菱南大夕張炭鉱ガス爆発(1985年、死者62人)と同じような最新鋭鉱で事故が立て続けに発生し、日本の石炭産業の崩壊は決定的なものとなったのである。


この事故により石炭産業の衰退は決定的となり、夕張市は「炭鉱から観光へ」の流れを加速させ、過大な観光開発へ突き進むこととなる。そのことが、後に財政再建団体へと転落する大きな要因となった。


現在も、清水沢には夕張新炭鉱の文字が残る坑口と慰霊碑が残る。坑口は事故で死亡した作業員達の遺族による「空気が通るように」という要望からコンクリート等による密閉はせず鉄格子で閉鎖されている。 (以下略)


ご遺族にとって、この事故の時点で時間は止まったままでしょう。炭鉱を擁し石炭への依存度の高かった 夕張市 は、炭鉱閉山に伴いメロン *1 やら映画祭など観光に力を入れるものの財政は非常に厳しいと聞いています。これら全てを炭鉱事故による損害と考えカネに換算すると、大変な額になる筈。このおカネを鉱員さんの安全にかけるか事故処理にかけるかの違いこそあれ、石炭のコストとして認識されるべきですね。炭鉱を皆閉鎖したとは云っても日本の石炭需要は旺盛ですから調達先を国外に移転せざるを得ない訳ですが、こんな思いまで移転してはならない −−− と云う事を、調達に際しては考慮して欲しいものです。


.

*1:誕生は1961年ですから炭鉱閉鎖との直接の関係はありませんが。
   夕張メロン - Wikipedia