遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

翻訳雑感: 自分の場合

翻訳に関する私の経歴を少し紹介;


中学生の頃から英語(のロジック)に興味があって、わからないなりにかつ生意気にも、別宮貞徳さんを初めとする理論書などを読み漁った時期もあり、コトバの専門的な勉強もして中南米で生活もした割には、翻訳への関心が薄くなっておりました。

多くの男の子がそうである様に(違うかな?)、元々物理学やら宇宙に関心があってそれ以外の本に親しむ習慣が無かったことが最大の原因? またある時期からは、全くの偶然でめぐり合ったフラメンコと云う音楽とその世界にのめり込んで行ったこと、コトバを勉強する過程でやっぱ原語で読まないと本当に理解なんて出来ないよな、との感が強くなったこと、本を読むだけでわかったつもりになることへの戒め、等々本から遠ざかるには充分な理由。つまり日本語への関心が薄れてしまった。


ところが転機は例の9−11。この日私はテネシー州に仕事で行ってまして、それなりにとばっちりを喰いましたっけ。

その2〜3年前、中近東との関わりが出来ていました。オバQ*1(注:馬鹿にしているのではありませんよ、服装から親しみをこめてこう呼ぶのです。その地の気候に合った実に合理的な服装と思います)が闊歩する湾岸のある国へ出張した際、そこで暮らす日本人と話していた時「オレは、イスラムって非常にまともな宗教だと思うよ」と言われたこと。この方はどちらかと云えば保守的な考えをなさるが合理的なビジネスパーソンなので、へぇ〜、このひとがそう言うんならそうかもしれないな、じゃあいい機会だから何か関係した本を読んでみようかと考え、滞在先ホテルの書店で物色して買ったのがサウジアラビア出版のクルアーンのアラ英対訳と、文字・装丁の美しさが群を抜いていたクルアーンアラビア語版。この時は、ホテルの部屋でどちらかと云うとぱらぱらっと眺めた程度だったのですが、

9−11を報じるアメリカのTV・新聞を取引先やらホテルの部屋で見ていると、当初はやれ特攻隊だ何だと混乱していたのが、これはイスラムの仕業だと云う方向にマスコミがなびき始め、その後の経緯はご存じの通り。アメリカの報道の良心はこれを機に崩壊した、と私は考えています。(余談ですが9−11から帰国直後、この件について更に子供レベルの社説を臆面もなく掲載した毎●新聞に抗議しましたっけ。)

マスコミは全く信用出来ない状況下、中南米から見ていた北の帝国(以下『帝国』と略)を中心とする今の世の中の仕組みと、どう考えても誤解・曲解されているとしか思えないイスラムについて私なりに改めて勉強し出してから、嫌でも翻訳を意識し出しましたね。


9−11に限らず、カストロ率いるキューバチャベス率いるベネズエラやらイスラム・中東紛争に関する報道を横目で見ていて昔っから気に食わないのは、どう考えても一方的にある1国・1体制の都合のよい方向だけに誘導していること。根底にあるのは『帝国』が共産主義イスラムに対して抱く恐怖であるし、他国の場合は『帝国』に対する気兼ねでしょうね。日本の場合は長年に渡る巧妙な植民地支配に慣れ切ってしまったことかも。報道機関なんて所詮株式会社ですから、そのステークホルダーの不利益になることは出来ない。昔からよく言われましたっけ、「新聞から少しでも真実を知りたいと思うなら、複数の系統のものを数多く読むしかない」。昔と違ってネットを使えばある程度実現可能でしょうが、9−11以降はそれも難しくなりましたね。

特に『帝国』の場合、9−11の際「味方しないものは敵と看做す」と云う二者択一、「国際社会の決定に従う必要はない、我々は一国で行動する」と云う独善性を世界中に公言し一方的に正当化しましたから、マスコミは皆骨抜きとなってしまった。いちおう報道の自由は確保されているのでしょうが、非国民とのレッテルを貼られて会社をつぶされてはたまったものではありませんから。『帝国』の自由なんて、そんなレベルです。


こうなると、日本○○新聞しか忠実に読まないようなビジネスパーソンなんて洗脳されてしまう。外国語なんて勉強もしないし興味もない『帝国』の住民なんかもっと簡単にコントロールされてしまう。「何故我々は憎まれるのか?」なんてボケた疑問を持つ。悪意は持っておらず無知なだけなのでしょうがね。経済的に『世界の勝ち組』と云われている国以外と関わったたことが無ければ、何の疑問も持たないのは仕方がないのかも。まあ、我々が生きている世界は、数の理論が幅を利かせる民主主義とカネ稼ぎ至上の資本主義に基づくと言えますから、社会主義共産主義なんてもってのほかであり、日に何回も大袈裟なお祈りをする宗教なんて非効率(実は我々だって似たようなことはやっているのに)だし、ジハードなんてテロの道具としか思えないのでしょう。


ではどうやって自衛するかしないか?別にそんなことをしなくたって私は困らないと思えばしない自由はあります。でも自衛したいなら、自分の目で見て感じて、それが出来なければ他人の目を通じて見て感じて、自分で判断するしか無い。試行錯誤して自分独自の情報ソースを持つ。その為には、たとえ幾つかのコトバが出来ても限りがありますから、そこで嫌でも翻訳と関わることになります。特に日本語って、漢字やらフレキシブルな造語のおかげで、大量のデータを一覧させることが出来ますから時間の節約になりますからね。


その意味で信頼出来る翻訳、すなわち翻訳者を選ぶことの重要性に気付き、翻訳に対する認識が変わりましたね。ただしこれは何も翻訳に限りませんが。

*1:オバケのQ太郎。トシがばれますね。Wikip ed i a に相当の分量の説明あり。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%90%E3%82%B1%E3%81%AEQ%E5%A4%AA%E9%83%8E