遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

オバマ新大統領発表の アフガン政策新包括戦略 Watch: その7 仏さんは怒っているのかな?

YAHOO 「アフガニスタン復興」 トピックスに記載されている無味乾燥な6月6日以降の記事一覧は次の通り;

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/world/afghanistans_political_future/news_list/?pn=1


仏像に関する記事を見て、2001年に破壊されたバーミャンの仏像のことを思い出しました。『−−−国連教育科学文化機関(ユネスコ)の松浦晃一郎事務局長は12日、アフガニスタンを実効支配するタリバンによるバーミヤン仏像破壊を確認したを明らかにし、文化遺産の破壊を非難する声明を発表した−−−』 ってな報道 *1 でしたが、


国連の胡散臭さにうんざりしていた (今でもしていますが) せいでもあるが、この非難の大合唱には強い違和感と反発を覚えましたね。もちろん貴重な文化財を破壊する行為は許されることではないしイスラムの教えにも反する筈ですが、そこに住む、世界中から無視され飢えた住民のことより、文化財だか世界遺産だか知らないが石の偶像のほうが大事なの?と云うこと。タリバンはこの件で悪者になりましたが、でもこの地域に世界中の関心を惹くことが出来た訳ですから、意図していなかったかも知れないが目的は達したのかも。


それと前後して確か日本の新聞で読んだのが、元アマゾナス州(ブラジルかベネズエラ?)知事であった方の、 『世界中がアマゾンのジャングルの破壊をヤメろと言うが、そこに住む我々は猿ではない。*2 まずわれわれの人間らしい生活を成り立たせてからの環境保護だ』 と云う内容の至極もっともな、しかし口から出すのにはそれなりの勇気の要るインタビュー記事。エコマインド気取りの先進国が、自分達が自国のみならず他国の環境・文化・人権まで破壊して現在の生活レベルを手にしたことを忘れ、進展国に残された貴重な自然資源の保護を声高に叫んでいる姿は、滑稽以外の何物でもない。


関連して、これもヒンシュクを買うかも知れませんが、漁業を守るために多分心ならずイルカを退治せざるを得ない漁師さん達を野蛮人扱いしたり漁の妨害を行う一部環境保護団体。漁師さんの生活を誰が保証してくれるの?あんたらではないよね。


言いたいのは、まず人ありき、と云うこと。地球上には恐らく何百万と云う種が生存しています。どれも等しい生存の権利はあると思いますが、ではその中のある種を守るために、何百万の中のたったひとつでしかないホモ・サピエンスを犠牲にすることは許されるか?答えはNoですね。いいことか悪いことかは別として、現在我々が生きている世界は人間最優先のルールの上に成り立っていますから。生き物にしてこうなのだから、まして人間と物ではどちらを優先すべきか、考えるまでもありませんね。


話をバーミャンに戻しますと;この件に関して最も説得力があるのは、 「ペシャワ−ル会」 の医師としてアフガニスタンで奮闘しておられる中村哲さんの発言 *3 ですね。また、イランの映画監督モフセン・マフマルバフさんの著作 『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない恥辱のあまり崩れ落ちたのだ (単行本) 』 *4 も参考になりそう。

以下、『誰がバーミャン大仏を壊したのか?』
http://members.jcom.home.ne.jp/lerrmondream/bahmian.htm
吉田悟郎さんのHP 「ブナ林便り」*5 記事より引用します;


−−−どういう全体状況の中でバーミャンの石仏が破壊されたのか。これこそ、とても大事なこと、「木を見て森を見ない」愚を避ける道だと思うので、中村哲さんの説明によってその背景をたどってみた。以下、中村哲さんの文章をそのまま引用する。


 [およそこのような中での、国連制裁(対アフガニスタン)であり、
 仏像破壊問題であった。
 旱魃にあえぐ人々にとって、これがどのように映っただろうか。
 佛跡問題が最も熱を帯びていた頃、手紙がアフガン人職員から
 届けられた。
 「遺憾です.職員一同、全イスラム教徒に代わって謝罪します。
 他人の信仰を冒涜するのは我々の気持ちではありません。
 日本がアフガン人を誤解せぬよう切望します」。


 私は朝礼で彼らの厚意に応えた。
 「我々は非難の合唱に加わらない。餓死者数百万人という中で、
 いま議論をする暇はない。
 平和が日本の国是である。我々はその精神を守り、支援を続ける。
 そして、長い間には日本国民の誤解も解けるであろう。
 人類の文化、文明とは何か。考える機会を与えてくれた神に感謝する。
 真の『人類共通の文化遺産』とは、平和・相互扶助の精神である。
 それは我々の心の中に築かれるべきものだ」


 その数日後、バーミャンで半身を留めた大仏を見たとき、
 何故かいたわしい姿が、ひとつの啓示を与えるようであった。
 「本当は誰が私を壊すのか」。


 その巌の沈黙は、よし無数の岩石塊と成り果てても、
 全ての人間の愚かさを一身に背負って逝こうとする意志である。
 それが神々しく、騒々しい人の世に超然と、
 確かな何ものかを指し示しているようでもあった。]


仏とは無限の慈悲である、と理解します。ただし私は偶像は崇拝しませんから、破壊された仏像が怒っているか、などと問うことは出来ません。破壊行為は人間の愚行ですから仏さんは怒る訳がない。しかし何故破壊したのか突き詰めて考えないとばち(天罰)はあたりますね、きっと;


 破壊前 
                        ガンダーラ美術とバーミヤン遺跡展より


出典が探せないのですが、ブラジルの聖職者 (確か司教さん) のコトバで、 『飢えているひとたちを助けると私は聖人と呼ばれる。でも何故彼らは飢えているのだ?と尋ねると、私はアカと呼ばれる』 と云うのがあります。他人から偽善と呼ばれようが、行為によって助かっているひとがいるならそれは正しい行為ですね。でも、 『何故』 を考えないといつまでも解決しない。歴史から学ぶべきなのは、その 『何故』 なのでは無いか、とこの頃強く感じています。


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*1:2001年3月14日(北京時間) 人民日報記事 http://j.peopledaily.com.cn/2001/03/14/jp20010314_3427.html より抜粋

*2: 注:この発言では、猿を粗末にしてよい、などと云うことは意図していません。為念。

*3:2001年4月3日 朝日新聞夕刊 文化面  12ページ 「本当は誰が私を壊すのか」 バーミヤン・大仏の現場で 中村哲

*4:モフセン マフマルバフ (著), Mohsen Makhmalbaf (原著),

武井 みゆき (翻訳), 渡部 良子 (翻訳)


単行本: 191ページ
出版社: 現代企画室 (2001/11)
ISBN-10: 4773801123
ISBN-13: 978-4773801125
発売日: 2001/11  (以上、Amazonより)

*5:【−−−当面,私自身は、国家や民族、階級に囚われ縛られた既存の<世界史・全体史>を、西洋主義・近代主義で 化石化した従来の<世界史>を ひっくり返して、自由闊達で多種多様多元多層の、 相互の<自立と共生>を支えるような、未知の世界史の大海へ 漕ぎ出ていこうと夢見ています。(01.3.25)】 とのことで運営されています。