遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

翻訳家 山岡朋子さん その15  ロマンス小説

9月27日の 翻訳家山岡朋子さん その5 で、翻訳の評価のために読んだ『二人だけのレシピ』と云うロマンス小説なるものについて少し触れましたが、

この作品がロマンス小説ファンの間でどんな評価を与えられているのか色々と読んでみました。とにかくヤってるだけじゃないか、と云う声が多かったような−−−

ところで多分男性にはあまり縁のないロマンス小説って何だろうと思って調べていくうち、以下読売新聞の記事に行き当たりました;


http://www.yomiuri.co.jp/feature/sfuukei/fe_sf_19960912_01.htm

この記事は、1996年9月12日に同紙に掲載された『性の風景』シリーズの第7回目のもの。 以下一部を抜粋すると−−−

男女が恋に陥り、必ずハッピーエンドで終わる欧米発のロマンス小説。カナダに本社があるハーレクイン社のシリーズがこの種の小説のいわば代名詞となっている−−−


でもプラトニックラブ(このコトバ、死語ですかね?)ではないらしく、山岡朋子さんが『覚悟して』訳された様に、セックス描写が多いのも特徴みたいですね。じゃあポルノか?と云うとそうではないらしい;

−−− 実は、ロマンス小説にはけっこう濃厚なセックス描写が多い。「シリーズや作家によってはかなりセクシーなものもあります。夢物語より女性たちの現実の生活を反映した作品が増えてきていることも背景にあります」とハーレクイン・マーケティング部。

 大のファンの山川さんも、「ハードな描写が多くなったなあ」と実感している。しかし、男性向けの娯楽小説と決定的に違うのは、ロマンス小説のセックスは必ず「愛」に裏付けられており、暴力はもちろん、無理強いのセックスも登場しないことだ。

 「私が気に入っているのはきれいでハッピーなセックスが描かれているから。愛する人とが1番なんだなあと実感できる。私が教師なら、若い人の性教育に使いたいくらい」と山川さんは言う。−−−


こんなものを教科書に使われてはたまったものではありませんが。

この記事中気になったのが、フリージャーナリストの中井清美さんがまとめられた「わたしのエロ本考察 寂しい男と悲しい女」と云う本;

−−− しかし、女性の性的幻想が恋愛や、時には結婚と分かちがたく結びついているように、暴力や憎悪が男性の性的幻想の底に沈んでいるように見える。「男性のストレスはそれだけきついのかなあ。みんな疲れてますもんね」と中井さんはつぶやく。


おもしろそうな本ですが、いくらなんでも翻訳とは関係なさそうなので読まずにあえて屁理屈こねるなら、性的幻想とストレスってあまり関係ないんじゃないの?これこそ♂と♀の違いでは? とおもいますが。オトコの方が純粋だぞ、って気もするし。それに最近は上記抜粋部分の男と女がひっくり返っているケースが多いような−−−男性がレイプやDV被害に遭う時代です。

一部なのか相当数なのかは不明ながら女性がロマンス小説を「ああ、自分がこうだったらいいなと夢に浸っている時が最高」なので読むとするなら、男性が「夢に浸る」ために読むのは−−−何ですかね?

現実の性生活だけでなく、つかの間の性的幻想についても、男女のすれ違いは大きくなっているようだ。

でこの記事は終わるのですが、どうもこれも理解し難い。性的幻想について男女のすれ違いがあるのは当ったり前ですよね?その幻想のギャップを協力して埋めるのがよろしい訳でして。

−−−と言うことで、ロマンス小説って何だろうと思って読んだのに何か消化不良になってしまいました。で、ファンクラブ会長の苦しい結論;

原著の構成について、翻訳者に責任は無し。読者が束の間「夢に浸る」ことができる様な翻訳が求められている点が重要ですね。その夢が中断する様な興ざめな日本語をアウトプットしない限り、マルなんじゃないでしょーか。でも山岡朋子さんがこの翻訳を行うのは、何というか、呼び出された大魔神が庭掃除をするようなものではないかと−−−(汗)