遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

翻訳? ケータイ小説 雑感

今日は山岡朋子さん関係はお休み。

9月28日の 『翻訳?今日は変わりダネを』でケータイ小説について少し書きました。気になっているのでまた少し調べてみまして。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%82%A4%E5%B0%8F%E8%AA%AC

上掲は、フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』のケータイ小説の記事です。内容はまだ議論中の様ですが、さすがによくまとまっていますね。

おもしろいのは、『著名人の意見』の項目。大体は鼻先でせせら笑っている様なコメントばかりですが、共感できたのは、ケータイ小説を小説ではなく都市伝説などに近いものとし、「---小説として批判するのは間違っている」と発言なさった 作家の池上永一さん。

でもそれ以上に感心したのは、「ケータイ小説は日本の文学を悪くすると言われていますが、読まれているのには理由があるはず。なぜ読まれるのか知りたくて書いてみた」と発言された瀬戸内寂聴さん。

http://www.47news.jp/CN/200809/CN2008092401000749.html

上掲は共同通信 2008/09/24 18:06 の記事ですが、瀬戸内さんの発言は

 瀬戸内さんは贈呈式で、「あたし彼女」という作品で大賞に輝いた札幌市在住のkikiさん(23)らケータイ小説作者たちに「書きたいことを自分の言葉で書いて」と激励した。


(本筋とは無関係ですが、kikiさんは札幌にお住まいなのですね。カレシである『トモ』さんが道産子であるなら、意外と実在の人物かも)

そうだよね!! やれ活字離れだ、xxの質の低下だ、稚拙だ、安易だ、と批判するのは勝手だが、何故ケータイ小説が読まれているのか考えてみるのも大事とおもう。これがこの先どんな形で発展してゆくのか、あるいは消え去っていくのか見届けたい。思わぬ方向へ進んで行くかも。小説に限らず日本のケータイ文化は世界の中でも特殊ですからね。

直接関係は無いかも知れませんが、10年程前、歌舞伎に興味を持たれた南米の夫婦に付き添って国立劇場で若い生徒さん達のお稽古を見せて頂いたことがあります。確かその時同行された文芸員(正確な肩書き覚えていません)が、『 --- 歌舞伎はもともと庶民の娯楽であった。本来難解なものでも高尚なものでもない。もっと幅広いお客様に気軽に楽しんで戴きたいし、そのために努力もしている』と云う様なことをおっしゃったのにいたく感心したことがあります。私は、歌舞伎なんて相当努力して理解すべき古典の世界としか思っていませんでしたから、この説明は新鮮でした。(そのわりにまだ歌舞伎を見たことがないのはかなり恥ずかしいのですが。どなたか東銀座へご一緒しません?)

純文学って、そんなに高尚なものなのでしょうかね?好きな方々がその世界に浸るのは勝手ですし批判もしない。でも単純に比較などできる訳もない「ケータイ小説」をコキおろすのは、変なエリート意識のなせるワザとしか思えない。要は楽しめればいいんでしょ?レベルの低い私など、色々な世界があったっていいじゃないか、と思ってしまう。書きたいことを自分の言葉で書く、実は大変難しいことでもありますけどね。

で結局、先日紹介した「現代語訳」は翻訳ではなく単なる「あらすじ」ですね。ケータイ小説に抵抗のある方々向けのゲートウェイと云う意味で存在価値大いにありとは思いますが、それをもってケータイ小説を評価するのはたぶん大間違い。


http://no-ichigo.jp/read/book/book_id/89873

上掲は、瀬戸内さんが筆名「ぱーぷる」で野いちごにて連載された、源氏物語の一部をモチーフにした現代の恋愛小説である『あしたの虹』です。大ベテランが書かれたものですが、連載中は「ぱーぷる」とは誰であるか公開されていなかったらしいので、小説そのものはもちろん、その頃のコメントやら感想を見てみたいですね。(厳密にはケータイ小説とは呼べないかも?)

瀬戸内さんの柔軟さには脱帽!!さすが。翻訳書としての瀬戸内寂聴『現代語訳 源氏物語』必ず読もう。歌舞伎も見にいこう。−−− どんどん TO DO リストが膨らんで行きますが。