遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

「狙った恋の落とし方。2」 観て勉強するか −−−??

なかなかソソる題名ですが、中身は中国映画祭。食わず嫌いやら某国によるネガティブ・キャンペーン、あるいは無意味な嫌悪感など先入観無しで観る価値がありそう;


「狙った恋の落とし方。2」などネットで無料公開―「映像中国」
  サーチナ 11月29日(火)16時36分配信

  −−− これまで世界8カ国で開催してきたが、日本国内では初めての開催。今回は、CRI中国国際放送局開局70周年記念でもあり、2012年の日中国交正常化40周年も見据えたもの。 / CRIの日本語部部長である傅穎氏は、「ぜひ、このチャンスを利用して、中国の文化、そして一般人の暮らしに触れていただきたい」とし、「『百聞は一見にしかず』、今回のイベントを通じて、日本の多くの方にぜひ実際に中国へお越しいただいて、映画に映った風景をご自身の目で確かめていただければ」と語っている。 (記事終わり、引用終わり)


「映像中国」日本公式ホームページ
   このサイトで12/1〜7日の1週間無料上映予定。


  映像中国〜ネットで観る中国映画祭〜 (1/2)
    2011-11-28 11:05:17、中国国際放送局

     2/2 頁が上映される7本の映画の解説動画リンクとなっています。




そうか、1972年角さん−周恩来による 日中国交正常化 から早40年経とうとしているのですね。正常化はしたものの、台湾との断交と云うマイナス面もありました。なおこのウィキペディア記事中、賛否はあるだろうけれど面白い記述があります;

−−− アメリカにとっては中国をパートナーとした新しい東アジア秩序の形成を模索するものであったが、キッシンジャーがその東アジア新秩序構想において日本抜きで事を運ぼうとしていることを察知した日本政府及び田中角栄は、アメリカの先手を取ってでき得る限り早く日中国交正常化を果たすことを決断する。そしてニクソン訪中宣言からわずか1年2ヶ月という異例の早さで日中共同声明(1972年9月29日)に持ち込んだ。


−−− 1972年7月7日に内閣総理大臣に就任した田中角栄は、同年9月に自ら中華人民共和国を訪問した。


   そして9月29日、日本国外務大臣大平正芳中華人民共和国外交部部長:姫鵬飛が「日本国政府中華人民共和国政府の共同声明」(日中共同声明)に署名。国交正常化が成立した。このとき日本はニクソン訪中宣言の後に対中アクションを起こしたにもかかわらず、アメリカよりも先に中国を承認するという、信じがたいフットワークのよさでことを進めた。政策判断の当否はともかく、アメリカの鼻先でアメリカの外交戦略の先手を取ったというのは日本の戦後政治史において例外的なことである。


   なお、当時はまだ戦後30年も経過しておらず、交渉には日中戦争の傷が影を落としていたが、周恩来は「日本人民と中国人民はともに日本の軍国主義の被害者である」として、「日本軍国主義」と「日本人民」を分断するロジックによって「未来志向」のポリティクスを提唱し、共同声明の成立に邁進した。この論理によれば、抗日民族統一戦線の戦いをどれほど賛美し、日本の軍国主義の侵略をどれほど非難しても、それは日本との外交関係にいささかもネガティヴな影響を及ぼすものではないとされる。この「未来志向」の政治的合意は現在にも引き継がれている。


   それから4年後の1978年8月、福田赳夫政権の下で日中平和友好条約が調印された。 (以下略、引用終わり)

蛇足ながら、確かこの件ではなくエネルギー政策関係でアメリカの逆鱗に触れた角さんは、今考えると相当胡散臭い ロッキード事件 で76年逮捕・起訴され、一審・二審ともに有罪となったものの上告。85年病に倒れるまで無所属で政治活動も続けておりましたが、93年上告審結審せず帰らぬ人に。およそエリートとは程遠い人でしたが、稀有の政治家であったことは間違いありません。国交回復40年を機に再評価されてしかるべきと私は思います。恐らく今も変わらない、内弁慶の検察の体質も含めてね。

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