「原爆の功績」 問う論争 ?? 速報
呆れ・怒りそして無力感を感じさせる記事が掲載されています。○ちゃんねるなどでもコメントが飛び交っている様ですが、私はドイツ語全文を読めませんから報道が正しく翻訳・要約してくれている前提で紹介しますと;
<ドイツ>被爆者追悼碑建立めぐり「原爆の功績」問う論争
7月8日19時45分配信 毎日新聞
【ベルリン小谷守彦】広島、長崎への原爆投下(1945年)を了承した米トルーマン大統領(1884〜1972年)の滞在地、ドイツ・ポツダム市の「トルーマン邸」前に被爆者追悼碑を建立する計画が持ち上がり、地元紙の紙上で賛否の議論が起きている。原爆投下の過ちを問いかけようとする同市に対して、在住米国人が「原爆投下は戦争終結に重要な役割を果たした」などと論争を挑んでいる。 (中略、以下掲載された意見のみ抜粋)
−−− 筆者の米国人事業家、ロバート・マーキー氏は「日本人は広島の悲劇を訴えることで、自らを犠牲者としている」
−−− 歴史学者クレプス氏は「米国は核攻撃なしで日本を降伏させられるか、十分調べるべきだった」と米政権の決断を非難
−−− 教育学者のガウリッタ氏も「(原爆投下という)野蛮な犯罪を米国が謝罪するのを世界は耳にしたことがあるか?」と原爆を正当化するモラルのなさに疑問を投げかけた
−−− 市当局者は「碑建立は原爆廃絶の呼びかけであり、戦争犯罪の追及から日本人を逃れさせる意図はない」
- 元記事は多分:
Potsdam hilft Japan bei Geschichtsklitterung
30.06.2010 17:45 Uhr | Von Robert S. Mackay |, Tagesspiegel
多くの非戦闘員が犠牲となった原爆投下や無差別な大空襲が裁判の俎上にさえ上がらなかった 『勝者』 の驕り、更に云うなら過去の植民時代に犯した 「犯罪」 の認識のない米欧 「列強」 の前時代的な傲慢さには呆れるばかりだし、
日本が被爆をことさら強調して 「戦争犯罪」 の追及から逃れようとしている、あるいはWW2の犠牲者であると主張しているが如き認識には怒りを禁じ得ないし、
しかし一方では、被爆国でありながら戦後一貫して加爆国に追従する姿勢しか採って来なかったが故に 「核」 に関して 「国際社会」 で何の発言力も無いことには無力感を感じます。
『原爆』 に 『功』 などある訳が無いでしょう。それは 『必要悪』 でさえ有り得ない、二度と使われてはならない兵器のひとつであると云うのが、広島・長崎の主張な筈です。被爆と云う観点から日本は間違いなく犠牲者です。にもかかわらず、昨年の終戦記念日の考察 64回目の終戦記念日 8月15日 - 翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記 で紹介した様に、日本はむしろ非常に自虐的にWW2における自分達の責任を認めたうえで、原爆犠牲者に対して 『過ちは、繰り返しませぬ』 と誓っています。日本国内はそれでよいのかも知れませんが、 『日本人は広島の悲劇を訴えることで、自らを犠牲者としている』 などと云うタワゴトがまかり通る現状を見る限り、対外的な主張は見直す必要がありそうです。全てに賛同出来る訳ではありませんが、パール判事および編著者の言葉を再び示します;
『パール博士 「平和の宣言」』 田中正明 編著、出版社: 小学館; 復刊版 (2008/02)、ISBN-10: 4093877718、ISBN-13: 978-4093877718 91〜92ページから:
1952年11月5日中の島平和記念公園を訪問され、花崗岩に刻まれた 『安らかに眠って下さい、過ちは、繰り返しませぬから』 の碑文を通訳を介して二度も三度も確かめたうえで、
- 「この”過ちは繰り返さぬ”という過ちは誰の行為をさしているのか。むろん日本人をさしていることは明かだ。それがどんな過ちであるのか、わたくしは疑う。ここにまつってあるのは原爆犠牲者の霊であり、原爆を落としたものは日本人でないことは明瞭である。落としたものの責任の所在を明かにして、”わたくしはふたたびこの過ちは犯さぬ”というのなら肯ける。
この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は、西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。ただし、過ちをくり返さぬということが、将来再軍備はしない、戦争は放棄したという誓いであるならば、非常にりっぱな決意である。それなら賛成だ。しかし、それならばなぜそのようにはっきりした表現をもちいないのか」
明らかに占領下の卑屈になった日本の指導階級の”何もかもわたしが悪うございました”という、罪悪感を背負った詫び状の残滓である。
- 「国民がその良心にゆがめられた罪悪感をになって卑屈になっているあいだは、進歩も発展もない。原爆を投下した者と、投下された者との区別さえもできないような、この碑文が示すような不明瞭な表現のなかには、民族の再起もなければまた犠牲者の霊もなぐさめられない」
ポツダム市当局者が恐らく苦し紛れに口走ったのであろう 『戦争犯罪の追及』 とは、南京虐殺や従軍慰安婦問題、あるいはアジアでの植民地支配時代の蛮行を指すのでしょう。公式な戦後補償は国交の無いDPRKを除いては完了してはいるものの、南京虐殺については日中両国での調査にもかかわらずその規模さえ明確になっていない状況ですから 「戦争犯罪」 とは認識されていない筈。女性の人権蹂躙問題やら植民地時代の蛮行についても、日本政府でさえ 「米欧列強」 の如き厚顔無恥な姿勢は採っていないことを祈りますが、そもそも 「戦争」 犯罪とは言い難い。
この論争がポツダム市だけのことなのか拡がっているのかはわかりませんが、 「戦争犯罪」 などと云う言葉が発せられている以上、日本として公式に抗議なり釈明すべきと思います。何も言わなければそれを認めたことになりますよ、参院選がどの様な結果になろうともね。
(以上、言葉足らずではありますが、速報として投稿。2010年7月9日、午前8時)