遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

ドイツ ポツダムの 「ヒロシマ広場」 に被爆者追悼碑: 明日2010年7月25日除幕式

2010年7月9日付け 「原爆の功績」 問う論争 ?? 速報 - 翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記 にて紹介しました、ポツダム市の 「トルーマン邸」 前に被爆者追悼碑を建立する計画について、最終的に建立まで漕ぎつけたことが報道されました。関係者の努力には頭が下がります;

  • ドイツ ポツダムの「ヒロシマ広場」に被爆者追悼碑
    7月24日18時17分配信 毎日新聞


    −−−碑には英語、ドイツ語、日本語で追悼文が刻まれ、原爆投下当時にあった広島と長崎の「被爆石」が組み込まれている。


     碑建立を巡っては、原爆投下が戦争終結につながったと主張する在住米国人が地元紙に建立反対の意見記事を投稿、新聞紙上や地元ラジオで議論が繰り広げられた。


【活動の母体】

    • 記念地 に記載の碑文案


      1945年8月6日と8月9日の広島と長崎への
      原爆投下によって犠牲となった人々を追悼して

      (ドイツ語、英語、日本語、ロシア語で)


      1945年7月17日から8月2日までの間、連合国によってポツダム会談が行われ、その間、当時のハリー・S・トルーマン米国大統領が向かいの邸宅に滞在していた。


      1945年7月25日、米国大統領の合意を得て、ワシントンから軍の原爆投下命令書が出された。


      原爆の破壊力は、数十万人の人々を死に追いやり、人々に驚くべき苦難をもたらした。


      核兵器のない世界を願って。


【地元での報道、最終的な碑文】

    • 記事中掲載されているドイツ語の碑文は;


      Im Gedenken an die Opfer der Atombombenabwürfe auf Hiroshima und Nagasaki
      am 6. August und 9. August 1945
      Während der Potsdamer Konferenz der alliierten Großmächte vom 17. Juli
      bis zum 2. August 1945 wohnte der damalige Präsident der Vereinigten Staaten
      von Amerika, Harry S. Truman, in der gegenüberliegenden Villa.
      Am 25. Juli 1945 wurde mit Zustimmung des amerikanischen Präsidenten
      aus Washington D.C. der militärische Befehl zum Abwurf der Atombomben erteilt.
      Die zerstörerische Kraft der Bomben brachte hunderttausendfachen Tod und entsetzliches Leid über die Menschen.
      In der Hoffnung auf eine atomwaffenfreie Welt
      Die Gestaltung des Hiroshima-Gedenkortes soll am Sonntag, 25. Juli 2010, zur Gedenkveranstaltung abgeschlossen sein.
    • これを Web 上での翻訳サービス (使用したのは Bing Microsoft Translator) で訳しますと;


      6 広島・長崎の原爆犠牲者のメモリに。2006 年 8 月と 9。1945 年 8 月17 の同盟国のポツダム会議中に。7 月 11 月 2 日に。1945 年 8 月、大統領は、アメリカ合衆国トルーマン反対のヴィラに住んでいた。25 日に。1945年 7 月軍事コマンドに原子爆弾投下アメリカ大統領の同意を得てワシントン D. C. から付与されました。爆弾もたらされた人ベースのいくつかの百何千人もの死と恐ろしい苦しみの破壊力無料の原子力発電の世界の希望で広島の記念場のデザインは、日曜日には、25 です。7 月 2010 年記念サービスを完了します。


      勝手に 2006年など表示したりぎこちないのは現レベルでは仕方がありません。文面は上掲の当初案通りの様です。
      • なお同記事中、 "Eine Inschrift im Sockelstein am Gedenkort Hiroshima-Platz wird in deutscher, japanischer und englischer Sprache an die Opfer der Atombombenabwürfe erinnern." の部分は 「基本の石記念広島広場での碑文、ドイツ語、日本語と英語で原爆の犠牲者を記憶します。」 の様ですから、当初案からロシア語が抜けたことになります。


トルーマンが原爆投下を命じたのが7月25日ですから、これも運命の日。戦勝国歴史認識は相変わらずですが、これを変えない限り 『核のない世界』 なんて、オバマと共に消え去る運命にあります。フィデルが悲観的になるのも無理はない。最後に参考紹介;

    • これを掲載した クリスチャン・サイエンス・モニター - Wikipedia とは;


      田中宇さんによると 「クリスチャンサイエンス・モニターを、宗教的に偏向している新聞だと思っている人もいるようだが、私が読んだ感じでは、それは違う。かつては信頼のおける中道左派系の新聞で、アメリカのリベラル知識人の中では同紙を高く評価する人が多かった。911以後、右派系プロパガンダを無批判にばらまく傾向はあるものの、それはアメリカの他のマスコミと全く同じで、特に宗教的に偏向しているとは感じられない (2003年11月11日)」 「アメリカの新聞「クリスチャンサイエンス・モニター」は、かつては質の高い報道をする新聞として知られていたが、911以降はネオコンが発するプロパガンダをそのまま報道するようになっている (2002年12月2日)」 とのこと。