遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

フラメンコの唄い手達: アグヘータス と ボリーコ

今日は、前回 『なぜ英語が話せなければいけないの? その1』 でお約束しましたスペイン語のお勉強にあたっての私のインターネット活用について紹介しますね。

まず 2008-10-06 付け『翻訳家 山岡朋子さん その11 ドン・キホーテ

http://d.hatena.ne.jp/El_Payo_J/20081006/1223219943

の中で荻内センセイと共に紹介した、フラメンコの唄い手アグヘータス(アブヘータス)をからめて始めますか。

便利な世の中になったもので、画質・音質に難はあるものの YouTube で手軽にビデオを見られます。例えば;



"Tio Gregorio, Borrico de Jerez, martinetes con Abujetas "

このビデオは60〜70年代のものと思われますが、フラメンコの唄好きなら狂喜するアーチストが出ていますね。唄い手は紹介したアグヘータス(若い方)とボリーコの2人、唄が無伴奏のものですから弾いてはいませんが、当代切っての名伴奏家であるモラオ兄弟(兄:マヌエル、弟:フアン)の2人が見えます。全員スペイン南部アンダルシア地方はカディス県の出身、かつ生粋のスペインジプシーですね。

アグヘータスは『翻訳家 山岡朋子さん その11 ドン・キホーテ』に記載の通り80年代に来日時、ボリーコとマヌエル・モラオはカディス県のヘレスで、フアン・モラオはレコードで聴き馴染んでいるのでこのビデオを選びました。

もちろん私がスペイン語の勉強にフラメンコの唄を使っていた頃にはこんな気の利いたものはありませんでしたから、LPレコードとその解説、および正に翻訳の一形態である歌詞カードが主な「静的な」教材でした。一方とにかくフラメンコの唄が好きでした(今でも浮気せず大好きですよ)から、今考えると随分ずうずうしいこともやってましたね。レコードの解説者と連絡を取ってご自宅にお邪魔したり、雑用を手伝う名目で来日したアーチストのホテルまで押しかけたり。でも、結果としてこれらの「動的な」教材を通じて聞くこと・話すことに慣れましたし、何よりフラメンコの世界に引き込まれましたね。

今はインターネットと云う便利な道具がありますから、マルチメディアで何かを調べることもそれを掘り下げることも拡げることも容易ですね。そこからリアルの世界を探索することが大事。他人から教わらなくとも、自分が本当に好きなことなら自分だけの道は開けます。仲間も出来るでしょうし、世界も広がります。

これからも「外国語の勉強方法紹介」にかこつけてはフラメンコのアーチスト紹介をしますが、自分のお好きなことに置き換えて、自分はこうしてみよう、ってふうに読んで頂ければ。

なお私はフラメンコの唄を教材として使いはしましたが、一方でそれを聴くということは、歌詞を理解することではなく唄として感じることですから別物です。胸の中に手を突っ込まれて心臓をぎゅっと握られ揺さぶられる様な感覚は、一度体験すると抜けられません。病みつきになる世界。おかげで?犠牲にしたものも多かったのですけれど。