遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

Go ! Go ! 愚かな坊ちゃん その61: 国賊の系譜? 補足

← Go ! Go ! 愚かな坊ちゃん その60: 国賊の系譜? / 2016-09-18  極東国際軍事裁判 または 東京裁判

 岸 信介 (きし のぶすけ)
 International Military Tribunal for the Far East

 Nobusuke Kishi


頑な愚かなアベが尊敬して止まない爺さんである A級戦犯被疑者 たる岸信介が、東條英機以下7名のA級戦犯が処刑された翌日 巣鴨プリズン から釈放された経緯に関して、ウィキペディアの日英版ではビミョーに異なる記載あり。以下、前回記事の補足として紹介;

日本語版 よりの抜粋】


 アベの戦争認識は、 『戦争に負けた』 と云う認識が欠けている以外は爺さんのと殆ど同じみたい;

    • 自殺する政治家や軍人もいたなか岸は「名にかへてこのみいくさの正しさを来世までも語り残さむ」と裁判で堂々と主張するつもりで、「われわれは戦争に負けたことに対して日本国民と天皇陛下に責任はあっても、アメリカに対しては責任はない。しかし勝者が敗者を罰するのだし、どんな法律のもとにわれわれを罰するか、負けたからには仕方がない。」「侵略戦争というものもいるだろうけれど、われわれとしては追い詰められて戦わざるを得なかったという考え方をはっきり後世に残しておく必要がある」として臨んだ。
    • 今次戦争の起こらざるを得なかった理由、換言すれば此の戦は飽く迄吾等の生存の戦であって、侵略を目的とする一部の者の恣意から起こったものではなくして、日本としては誠に止むを得なかったものであることを千載迄闡明することが、開戦当初の閣僚の責任である」「終戦後各方面に起こりつつある戦争を起こした事が怪しからぬ事であるとの考へ方に対して、飽く迄聖戦の意義を明確ならしめねばならぬと信じた
    • 獄中で書いた『断想録』で新日本は海国として再出発すべきで、「吾等は曾て世界に比類のない国民的結束と世界を驚倒する進歩発展を遂げた。仮令一敗地に塗れたとは云へ、此の国民的優秀性は依然として吾等の血に流れて居るのである。(中略)国民的矜持も国民の内省による国民的自覚の上に立つものである」と書いた。さらに獄中では「日本をこんなに混乱に追いやった責任者の一人として、やはりもう一度政治家として日本の政治を立て直し、残りの生涯をかけてもどれくらいのことができるかわからないけれど、せめてこれならと見極めがつくようなことをやるのは務めではないか」と戦後の政治復帰を戦争の贖罪として考えるようになった。
    • 極東国際軍事裁判(以下東京裁判)については「絶対権力を用いたショーだったのである」と述べている。
        そりゃそうだ。しかし自分で ”勝者が敗者を罰するのだし、どんな法律のもとにわれわれを罰するか、負けたからには仕方がない。 (上掲)” と言っているのだから、裁判に対する批判では有り得ない。
    • 東京裁判では開戦を実質的に決めた1941年(昭和16年)11月29日の大本営政府連絡会議の共同謀議には参加していなかったこと、東条英機首相に即時停戦講和を求めて東条側からの恫喝にも怯(ひる)まず東条内閣を閣内不一致で倒閣した最大の功労者であること、元米国駐日大使ジョセフ・グルーらから人間として絶対的な信頼を得ていたことなどの事情が考慮されたため、東條ら7名のA級戦犯が処刑された翌日の1948年(昭和23年)12月24日、不起訴のまま無罪放免された。


 今日現在、アベ以下先の戦争を正当化しようとする・戦前復帰を目論む連中のベースはここにありそう。いや、岸のを丸々パクっているのでは?


英語版 よりの抜粋】

    • The womanizing Kishi found the forced celibacy of prison life the most difficult aspect of being held in Sugamo as he was held alone in his cell; Kishi who was used to having sex dozens of times every day found the absence of women very hard to cope with. During his time as a prisoner, Kishi fondly remembered his womanizing days in Manchuria in the 1930s, where he recalled: "I came so much, it was hard to clean it all up".
        なかなかお盛んだった様で。精力絶倫、いいことです。産めよ殖やせよ国のため。
    • During this time, a group of influential Americans who had formed themselves into the American Council on Japan came to Kishi's aid, and lobbied the American government to release him as they considered Kishi to be the best man to lead a post-war Japan in a pro-American direction. The American Council on Japan comprised the journalists Harry Kern and Compton Packenham, the lawyer James L. Kauffman, former Ambassador Joseph C. Grew, and former diplomat Eugene Dooman. Unlike Hideki Tōjō (and several other Cabinet members), however, Kishi was released in 1948 and was never indicted or tried by the International Military Tribunal for the Far East.
    • 参考: JPRI Working Paper No. 11: July 1995
       The Japan Policy Research Institute (JPRI)
       ”America's Favorite War Criminal: Kishi Nobusuke and the Transformation of U.S.-Japan Relations by Michael Schaller” 参照。

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