2月11日 国民の祝日 建国記念の日: 右翼はどこに?
建国記念日をいつもとは違った観点から;
1970年 〜 昭和45年 〜 に私は中学生でしたが、その年11月25日に三島由紀夫が市ヶ谷の駐屯地で割腹自殺を遂げた 三島事件 のことはよく覚えています。で、その三島の行動に大きな影響を与えたと云われているのが、その前年1969年 〜 今から44年前の今日 建国記念の日 2月11日23歳の命を自ら断った 江藤小三郎 ;
出典: 江藤小三郎先輩 / 果てなき思い−幽顕塾− 中の 『01 覚醒書』
一方、三島の関連する言葉を上掲ウィキペディアから引用すると;
三島は『若きサムラヒのための精神講話』において
「二月十一日の建国記念日に、一人の青年がテレビの前でもなく、観客の前でもなく、暗い工事場の陰で焼身自殺した。 そこには、実に厳粛なファクトがあり、責任があつた。芸術がどうしても及ばないものは、この焼身自殺のやうな政治行為であつて、またここに至らない政治行為であるならば、芸術はどこまでも自分の自立性と権威を誇つてゐることができるのである。私は、この焼身自殺をした江藤小三郎青年の「本気」といふものに、夢あるひは芸術としての政治に対する最も強烈な批評を読んだ一人である」
....と記している。
建国記念の日らしいイベントを、東京に限ってざっと見てみると;
『右翼』 と言っても、その定義は随分広そうだし曖昧。暴走老人こと前都知事のインタビュー記事を紹介;
◆知事の部屋/テレビ出演等/南方人物周刊「石原慎太郎 日本の右翼はとっくに消滅している」(日本語訳2)
平成22年11月4日更新、東京都
『右翼』 を、冒頭紹介の江藤小三郎の行為に大きく影響を受けたとされる 『新右翼』 やら 『民族派』 に限った場合、復権した? ジミントーの、昔長年慣れ親しんだ対米従属べったりの行き方を批判する勢力は無くなってしまったのか? アメリカが日本を占領するに当たって採った、「天皇は利用価値が高いので処罰せず平和のシンボルとして利用する」 と云う対日心理戦略が奏功して、右が骨抜きになってしまったのか? 建国記念の日なのに、独立あるいは民族自決を主張する 『右』 の声が全く聞こえてこない −−− カーニバルにうつつを抜かす私が知らないだけならよいけれど。
江藤小三郎や三島由紀夫の行為は、私ごときに批判は出来ないが是認も出来ません。まして、国粋主義を唱えるものでも天皇バンザイでもありませんが、彼らほど真剣に国のことを考えている政治家っているのかしら?
⇒ 参照;
有料記事 【「危険人物」石原慎太郎 /2012年10月30日】 要約部分
石原は、中国との戦争も辞さずという態度だ。自国の戦争を容認するのは「悪」だと考える日本人が多い。石原は悪人だ。だが同時に、石原のような真の右翼が政権をとると、日本は対米従属を維持できなくなって民族自決の方向に流れていき、同時に戦後ずっと続いてきた官僚独裁体制が壊れて政治主導の体制になっていく。
※ 石原が真の右翼なのかは疑問ですが−−−
■ 『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知ってること―沖縄・米軍基地観光ガイド』
※ 過去記事1 やら 過去記事2 にて紹介したことがあります。
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