「生き物」 への虐待か? −−− スペインの闘牛のこと
2010年8月3日付け 閑話 (むだばなし) : 動物との関わり - 翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記 に続いて、スペインのカタルーニャ州で2012年から禁止されることになった闘牛について、それが動物虐待にあたるのか? と云う観点から考えてみます;
- スペイン 「動物虐待」と闘牛を禁止 カタルーニャ州
7月29日11時1分配信 毎日新聞
【パリ福原直樹】スペイン北東部のカタルーニャ州(州都バルセロナ)議会は28日、同州での闘牛を12年から禁止する法案を可決した。同国では一部の島部が闘牛を禁止していたが、本土での禁止は初めて。動物愛護の高まりのほか、同州に分離・独立志向が強い事情も背景にある。 (以下略)
- Cataluña prohíbe los toros por 68 votos a 55
日付が明示されていませんが、urlから判断すると7月28日の記事, ADN.es
El Parlament de Cataluña ha decidido hoy prohibir las corridas de toros en esta comunidad autónoma con 68 votos a favor, 55 en contra y nueve abstenciones.
La Cámara catalana tiene previsto debatir y votar, a partir de las 10.00, la Iniciativa Legislativa Popular (ILP) presentada gracias a las 180.000 firmas de apoyo recogidas por la plataforma antitaurina Prou! ( ¡Basta!), que lucha contra el maltrato a los animales.
- El veto catalán a los toros agita España
7月29日
※ 引退した闘牛士 Manuel Benítez 'El Cordobés' のコメントが掲載されています; «Siento ganas de llorar, es una pena que destruyan lo que funciona»
Titulo: Homenaje a Manuel Benítez 'el cordobés'
※ 彼はフラメンコのギターも (確か唄も) うまい、とあるアーチストから聞いたことがあります。
- La prohibición de los toros
ABEL MAS FERRER - Barcelona - 29/07/2010
ELPAÍS_com
Hoy me siento mucho mejor, es un gran día para todos aquellos que creemos en la justicia, la ética, la moral, el progreso humano, y la Libertad con mayúsculas que no se usa para torturar, matar, ni infringir sufrimiento a los animales. La tauromaquia muere por el mismo motivo por el cual se suprimió la tortura en las cárceles, la Inquisición, la explotación infantil y tantas lacras más del pasado por ser prácticas indignas, crueles y anacrónicas.
※ アホかいな、と思いますが、禁止の原動力となった意見でしょうから紹介。
- 闘牛禁止、57%「同意できず」=スペイン
8月2日18時51分配信 時事通信
−−−今回の闘牛禁止が単なる動物愛護ではなく、スペインの「国民的娯楽」の拒絶を意味するとの意見も58%を占めた。ただ、闘牛が好きであるとの回答は37%にとどまり、「好きではない」の60%を大きく下回った。
※ 確かに、日本人全てがカラテやジュードーをたしなむ訳ではないし、スペイン人全てがフラメンコをたしなむ訳でもありませんからね、興味の無いひとも多いでしょう。
- 'The Economist' llama a Catalunya "tierra de la prohibición"
MADRID, 30 Jul. (EUROPA PRESS)
El semanario británico 'The Economist' dedica en su próximo número un breve comentario a la situación de Cataluña, a la que se refiere como "Tierra de la prohibición", y se pregunta "qué será lo próximo" que se ilegalizará, tras el 'burka' y las corridas de toros.
"Los catalanes le están cogiendo el gusto a prohibir cualquier cosa que les fastidie", afirma la publicación, para quien prohibir las corridas en España es "un poco como si un Estado alemán prohibiese las salchichas o una región francesa condenase esas latosas boinas". (以下略)
闘牛はスペインのみならず、メキシコを含む中南米でも開催されます。私自身、スペインの Puerto de Santa María では今は亡き パキーリ - Wikipedia の正に美の極致と言える闘牛を観ることができましたが、一方で南米ベネズエラでは Caracas および Valencia で残酷で見るに耐えない 「闘牛もどき」 も見せられました。後者の名誉のために? 申し添えますと、これは闘牛士の問題ではなく牛の問題。全く戦意? が無く、何度も柵の外に飛び出してしまう始末ですからまともな闘牛にならず、従って止めが刺せず、口から血を吐いて倒れたり、最後は小脳をナイフで刺し痙攣しながら死ぬのを見せられました。さすがに嫌になって、それから観に行かなくなりましたね。どう見ても闘牛用に育てられた牛とは思えず、本当に可哀そうでした。私は両極端の闘牛を見たことになります。
今回バルセロナで禁止の理由となったのは、上記の様な闘牛の残酷さのためでしょう。しかし闘牛は、よってたかって牛をイジメ殺して熱狂するイベントではありません。その歴史については Corrida de toros - Wikipedia, la enciclopedia libre (日本語版はあまりにチャチ) など参照、スペインを代表する文化のひとつと言えるでしょう。闘牛の角にかかって亡くなった闘牛士も少なくはなく、ロルカなどの詩にも歌われフラメンコと大いに関係がある、芸術や美学でもあります。この点は別途フラメンコ関連で扱えれば。
全世界で毎年何頭の牛が闘牛で 「殺される」 かの統計は手元にありませんが、食肉用として屠られる数に比べればはるかに少ない筈です。牛を闘牛場で殺すことが 「残酷」 だと云うのであれば、では自分達は牛肉を食べないのか? 屠殺 - Wikipedia と云う、肉を食べるには避けられない、しかし決して楽しくはない仕事は、多分どの国でも被差別民の仕事となっていることが多いと思いますが、牛は 「幸せに」 あるいは 「尊厳をもって」 屠殺されていると思っているのか? 私もその現場は見たことがありませんが、映像では恐怖に目がひきつる牛を見たことがあります。自分が殺されるのがわかるのでしょう。それが嫌なら、肉食を止めるべき。(肉を食べなくとも生きていけますよ。モルモットなんて完全な草食ですし、ベジタリアンだって存在するし、古いハナシですが巨大な草食恐竜だって存在した訳ですから。特に牛を育てるためには大量の穀物を費消しますから、食料の無駄遣いとも云えますよね。) 要するに 「私から見えないところで殺せ」、と云うのが本音でしょう、何が動物愛護だ、と言いたいですね。「人権」 についても同じですが。
勝田保世さんの 『砂上のいのち: フラメンコと闘牛』 、1978年11月20日 音楽之友社 発行第1刷より以下抜粋します;
260ページより;
- −−− ところで、その闘牛反対に反対の連中はこうやりかえす。 「そんなら牛肉を食うな。闘牛の数は屠殺場で殺される牛にくらべてはるかに少数だ、殺される時の苦痛も大差はない。それに闘牛は人間や馬を攻撃して、獣性の本能を満足させて死ぬのだ、もって瞑すべしである」
268〜269ページより;
- −−− 闘牛は残念ながらわが国では見られない。スペイン、中南米では春から秋まで催される。はじめてごらんになると血が流れてイヤになるが、二度見ると平気になり、三度目には面白くなる。もしだれか野蛮残酷という人には、次の話をきかせたい。
闘牛や、フラメンコの国の南スペインは、気候も人々のこころもあたたかい土地柄である。あの猛牛をそだてる牛飼いたちは、自分の子牛に名前をつけてやり、牛小屋に寝泊まりして話しかけたり頬ずりしたり、まるでわが子のように可愛がってそだてあげる。どうか勇敢な高潔(ノブレ)な、いささかも残忍だったり狡猾でない、りっぱな牛になってくれるようにと、日夜こころをくだいている。闘牛士もまたわざをはげみ、勇気と高潔な精神をもって牛に立ち向かう、そしてこれを屠り己のつとめを全うするのである。
牛は次から次に死んでいく、そして人もまたときには死の訪れを拒むことはできない。あの円形劇場のレドンデル(丸い砂場)こそは輪廻の六道であって、そこに神の摂理をまざまざとみる感がする。