遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

旧ソ連圏での 「色革命」 のこと

社会主義体制下で 「抑圧」 されていた人々にとって、資本主義 (と云うか民主主義?) はきっとバラ色に見えたでしょう。最近グルジアに関するニュースを目にしましたので、旧ソ連圏から 『色革命』 で 『自由』 になった? 3国について眺めて見ることに;


グルジア (ウィキペディア)


昔から、何故英語やスペイン語の様に 「ジョージア」 と呼ばないのか不思議に思っていましたら、ロシア語だったのですね。ウィキペディアによると、2009年3月グルジア政府は、日本語における同国の国名表記を現在のロシア語表記から英語表記に基づく「ジョージア」への変更を要請したとのこと。でもそれではアメリカの州 (と、時々飲んでいる缶コーヒー) と同じになってしまいますので、良し悪しですね。「グルジア美人」 の方が響きはよいのですが−−−

  • http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091029-00000100-mai-int
    <米ハリウッド>グルジア紛争を映画化 露は憂慮
    10月29日19時44分配信 毎日新聞


    −−− 一方、ロシアでは、紛争発生当初に欧米メディアがグルジア寄りの報道をしたことに対する不信感が今も根強く残る。露政府紙「ロシア新聞」は同作品について「ハリウッドはサーカシビリ政権の宣伝に関与している」と批判的な見方を示している。
  • http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091005-00000037-san-int
    グルジア紛争 EU調査委報告書 両国、崩れた虚構
    10月5日7時56分配信 産経新聞


    −−− 【モスクワ=遠藤良介】昨年8月のグルジア紛争をめぐる欧州連合(EU)の調査委員会の報告書が出されたのを受け、交戦したロシアとグルジアが軍事行動を正当だったとするプロパガンダ(政治宣伝)合戦を再開している。報告書は両国が軍事行動の論拠としてきた事実関係を否定、双方の非を明確に指摘したものの、依然として互いが自国に不利な側面には目を向けない状況が続く。死者850人、難民3万5000人を出した“5日間紛争”の最終決着にはほど遠い現実が改めて浮き彫りになっている。
  • http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091005-00000035-san-int
    グルジア紛争 サーカシビリ大統領に肩入れしすぎた
    10月5日7時56分配信 産経新聞


     ■「根本原因は米政権」 調査委メンバー指摘


     【ニューヨーク=松尾理也】グルジア紛争に関する独立調査委員会の報告書をめぐり、委員のひとりがこのほど、「民主主義を広めるとの大義を掲げた米国のブッシュ前政権が、サーカシビリ・グルジア大統領にあまりに肩入れしすぎたため、戦争をやめさせるだけの政治的影響力を失ってしまったのが紛争の根本原因」との指摘を米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)に寄稿した。


     「報告書から欠落したもの」と題されたこの寄稿では、調査委メンバーのヒンメルライヒ委員が「報告書は米国が果たした決定的な役割についての分析が欠けている」と指摘。この部分の正しい総括と分析なしには、紛争の真の原因は説明できないと述べた。 (以下略)


    この元記事は;


この国は、2003年の バラ革命 (ウィキペディア) でサーカシビリ率いる野党支持者が手にバラを持って議会ビルを占拠しシェワルナゼの議会開会演説を妨害、シェワルナゼを辞任に追い込んだ経緯があります。その後2008年にロシアとの間で 南オセチア紛争 2008年 (ウィキペディア) が勃発、上掲報告書はこれを扱ったもの。この紛争の背後にもアメリカがおりました。 ⇒2008年8月19日付け田中宇さん記事 米に乗せられたグルジアの惨敗 および 2008年10月22日付け大前研一さん記事 グルジア紛争にマケインの影 が参考になります。


ウクライナ (ウィキペディア)


この地方の事情に暗い私が相当昔から抱いているウクライナ地方 (ソ連時代) のイメージは、豊かな穀倉地帯・美人の産地(−−−) ですが、この認識は今でもそんなに間違ってはいない筈。この国は、2004年の大統領選挙の結果に対する抗議運動を行った野党支持者がオレンジをシンボルカラーとして行った オレンジ革命 (ウィキペディア) を経験しています。ウィキペディアによると、この運動を支援した「ORANGE REVOLUTION」は、民主化促進”を口実に体制の親米化工作を行なっているアメリカのNGOであることが確認されているジョン・マケイン元代表で、現在も中枢にいる大物である) とのこと。アメリカはアフガニスタンやイランでもこれを狙っていたのでしょうが、幸いなことに失敗。


グルジア同様、2004年11月30日付け田中宇さん記事 ウクライナ民主主義の戦いのウソ および2006年1月20日付け田中宇さん記事 続・ウクライナ民主化の戦いのウソ 参照。


キルギス (ウィキペディア)


私はこの国のことは殆ど知らない状態なので、「色革命」 の流れからの紹介のみ。2005年のキルギス議会選挙の後、汚職に手を染め独裁体制を築いていったとされていた同国大統領アスカル・アカエフを辞任に追い込んだ チューリップ革命 (ウィキペディア) を経験しています。


旧ソ連圏の色革命


バラ革命オレンジ革命およびチューリップ革命とも、表向き無血革命であったことの象徴と言えます。当時は、抑圧された国民が自由を勝ち取る、と云った主旨の報道がなされ、ちょっとしたお祭り騒ぎであった様に記憶します。しかし結局ここでもアメリカの利害が関係していたことは間違い無く、革命前と革命後でそこに暮らす人たちの生活がどう変わったのか考えると、必ずしもプラスでは無かったのでは? と云う気がしています。


以下、相当アメリカ寄りの観点から書かれている記事を紹介;

http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090608/erp0906082058007-c.htm
苦悩する民主主義 旧ソ連圏、問われる「色革命」
2009.6.8 20:56 MSN産経ニュース


−−− 露科学アカデミー欧州研究所のフルマン上級研究員は「『色革命』は選挙が全く意味を持たない強い権威主義と、通常の選挙で政権が交代する民主主義との中間的な体制で起きる。ただ、その後に民主主義が定着するには法に対する敬意や(政治への)誠実さ、民主的な制度といった一定の基盤が必要だ」と指摘。ロシアが「色革命」の原因とする「欧米の関与」については「決定的要因とはなりえない」と話す


 これに対し、ロシアは19世紀帝国主義さながらの「勢力圏」を外交の中心理念に掲げ、混乱や経済危機に乗じてこれら諸国での影響力回復を狙う。ウクライナには天然ガス代金の支払いをめぐって圧力を強めているほか、キルギスには2月、20億ドル(約1900億円)の巨額融資を約束して同国に駐留していた米軍の排除を約束させた。


 モルドバで4月、議会選後に若者らが首都キシニョフで暴徒化した際も、ロシアは「色革命阻止」を叫んで与党・共産党に肩入れし、一部報道では暴徒鎮圧用のガス弾など装備品まで提供した。「民主主義の波及を恐れるロシア」(フルマン氏)の介入は強まりこそすれ、弱まることはなさそうだ。

上掲記事中、「ロシア」 を 「アメリカ」 に読み替えても大して変わりません。


参考:

出典: ソビエト連邦 (ウィキペディア)



出典: ロシア地図 と CIS諸国