遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

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やけに暑かったと云う1945年8月15日を偲んで炎天下山手線外周一周をあるいてからナナを偲んで一杯、の私的行事は今年は延期。実は昨日未明、ペルセウス座流星群を見るために真っ暗な公園へ行った際、小さな段差に気付かず右足首を軽く捻挫してしまい、痛みがとれないため。 (でも絵に描いた様な? 流れ星を見られた!)


私から見ると亡国まっしぐら・被爆を含む戦没者の霊を冒涜するとしか思えない現政府が主催する 全国戦没者追悼式 は無視、今日は手元の 『パール博士「平和の宣言」』 を今一度読み直すことに充てることに。


上掲書復刊に当たってはしがきを寄せられた 小林よしのり さんに関して、私は昔たま〜に漫画を見たことがあり、著作を読んだことは無いが 『ゴーマニズム』 の名前だけは聞いたことはある程度にしか存じ上げないが、あまりよいイメージは持っていません。実際、はしがきが書かれたのが5年以上前であることを考慮しても、その半分位には納得出来ない。ただし書籍の内容には手は加えられておりませんから別に構いませんし、復刊に尽力されたのであればそれは高く評価します。絶版にしてはいけない書籍のひとつですから;


私の手元にあるのは復刊書の初版第一刷、入手は確か2009年前半ですが、それ以来基本的に終戦の日前後にはこの本を通読し直しています。世界では現在進行中の紛争・戦争の報道やら論評をほんの一部とは云え読むことを続けていると、この本を参照あるいは読み直す都度、新たな理解が生まれているのに気付きます。その上で感じていることは、パール博士の平和主義は破たんなどしていない、世界の状況が特に911以降大きく変動した今こそ真価が発揮され得る筈だということ、また、先の大戦に関し、東京裁判を全面肯定した自虐史観が大間違いであるのと同様、戦争を肯定・美化するのも劣らず大間違いだということ。


極東国際軍事裁判、通称 東京裁判 の判事として通常では容易に入手出来ないものも入手出来る立場も利用し、2年8ヶ月をかけ膨大な資料・書籍を読破・調査して作成した1928年〜1945年の18年間の歴史がパール判決書につづられました。博士の言葉を引用すると、 『満州事変から大東亜戦争勃発にいたる真実の歴史を、どうかわたくしの判決文をとおして充分研究していただきたい。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流ながれてゆくのを、わたくしは見すごして平然たるわけにはゆかない。』 この非凡な力作を放っておくテはありませんが、真面目な研究はなされているのか?


この判決文により、パール博士は判事中ただ一人、A級戦犯全員の無罪を判定。 前出ウィキペディア からその論拠を引用すると;

  • イギリス領インド帝国の法学者・裁判官ラダ・ビノード・パール判事は判決に際して判決文より長い1235ページの「意見書」(通称「パール判決書」)を発表し、事後法で裁くことはできないとし全員無罪とした。この意見は「日本を裁くなら連合国も同等に裁かれるべし」というものではなく、パール判事がその意見書でも述べている通り、「被告の行為は政府の機構の運用としてなしたとした上で、各被告は各起訴全て無罪と決定されなければならない」としたものであり、また、「司法裁判所は政治的目的を達成するものであってはならない」とし、多数判決に同意し得ず反対意見を述べたものである。パールは1952年に再び来日した際、「東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ」とのコメントを残している。


パール博士は、そもそも東京裁判そのものが国際法を無視し、司法と立法を混合し法の不遡及まで犯した私刑であるとして断罪しています。では、それが先の戦争を行った日本を肯定するものなのか? 私は一部NOだと思います。


以下博士の言葉を書籍より引用 (少々長いので転記ミスあるかも) すると;

  • かつて、諸君の指導者は、アジアにおいて将来起こるべきいろいろなことを予見して、適当な措置をすべく準備をしたのであるが、それが西洋の目からみるとき、将来の侵略のための準備であるとみられてきた。国内における電源開発も、教育の普及も、近代工業化への努力も、増産と開拓の設計も −−− じつは西洋の目からはすべて侵略のための準備であるとみられてきた。アジア民族の独立という聖なる目的さえも、アジアの貧困と文盲と疫病からの解放という聖なるこころざしさえも、”侵略”という名の下に一言で片づけられてしまった。私はもちろんそうとは思わない。またインドをはじめアジア諸民族も、決してそうとばかり受け取ってはいない。だが、世界は”侵略”の名の下にこれを裁いた。なぜだろうか。日本が強大なる軍事力を先頭にたててことをなし、またなさんとしてきたからである。手段として西洋の暴力の悪に対して、暴力をもって起ったからである。「悪を制するに悪をもってする」ということは、ガンジーのもっとも戒めている思想である。そのこころざしを遂げるうえに、いかに困難であろうと、いかに時間的に遅々たるものであろうと、非暴力の真理を把握し、この真理の下に日本国民のもつ豊かな国民性、勇敢なる性格、ものごとに対する先見の明を現前させていただきたい。これが私の諸君に対するお願いである。 (1952年10月25日、東京大学における講演より)
  • (インド独立に際し) 悪い手段、方法は決していい結果をもたらさない。目的がどんなに正しく立派であっても、手段、方法を誤ってはならない。悪なる暴力に訴えてはならない。破壊や暴力は悪である以上、いかに独立のためとはいえ、その手段として破壊や暴力をもちいてはならないというのである。つまりあくまで平和 −− 非暴力、不服従 −− という真理の道を選んだのである。 (1952年10月29日、早稲田大学における講演より)
  • 私はくり返して申しあげたい。戦争というものは平和への方法としては失敗であるということを。人類は長いあいだ ”平和のための軍備” ”平和のための戦い” ということを口にしてきた。そしてそのことは一つとして成功しなかった。すべて失敗の連続であった。われわれはもはやふたたびこの失敗を重ねてはならない。 (1952年11月10日 今上天皇 立太子 の日 法政大学における講演より)


キリがないし面倒なので引用は以上としますが、ガンジーの教えを守るパール博士は、日本の過去の指導者の崇高な目的は評価するが、採用した手段たる戦争は誤りであったと明言していると思います。はしがきで小林さんは 『パールは戦前に関しては「アジア解放の戦い」にも共感しているが、戦後に関しては一切の武力を否定している。戦前と戦後の間に断絶があると云ってもいいだろう。−−−当時としては、それなりに筋が通った思想だったのである。』 としていますが、違和感がある。 反省するにしても過去は変えられないが未来は変えられますから、必ずしも段差とは言えない。確かに 「戦争をした罪を隠すことはできない」 と日本の道義的責任を追及した訳でも責めた訳でもありませんが、矛盾に満ちた環境やらまだ立ち直っていない日本への配慮から、あえて戦争は誤りであったとは言わなかったのかも知れないし。


では、平和を求める手段としての非暴力は何もしないことを意味するか? これもNOと思います。『平和、それは正義であり、真理である。その真理を断じて実践せよ。これを践み(ふみ)行うのに死をもおそれてはいけない』 、ただし非暴力である以上、この場合の死は武器を手に戦って死ぬことではあり得ません。丸腰で体を張り殺されることも恐れるな、ということ。生易しいことではない。パール博士の言葉を借りるなら;

  • しかし、非暴力ということは、断じて 怯懦(きょうだ) ということではない。「暴力と怯懦といずれを選ぶかと問われるなら、私は躊躇なく暴力を選ぶであろう」とマハトマ・ガンジーも喝破している。非暴力ということは暴力以上の勇気を必要とする。すなわち暴力を押しのけるだけの、暴力者をしてついに暴力を放棄せしめるだけの力を必要とする。そのための軍備こそ必要だ。つまり人間の精神力の軍備、 ”魂の再軍備” を提唱したい。この魂の再軍備こそ、武器による再軍備以上の非常なる決心を要求するであろう。この道は決してなまやさしい道ではない。 (前出、1952年11月10日 今上天皇立太子の日 法政大学における講演より)


現在エジプトで進行中ですが、非暴力に徹して軍と対峙し、射殺される座り込みのモルシ支持派がよい例かも知れません。過去記事にて紹介の つれづればな エジプト事情 クーデターの背景 より引用;

  • エジプトの石油、電気、産業、その他思いつく限りの企業の経営は軍人とその親族に占められてる。それ以外の市民といえば、仕事がほしければ軍人に擦り寄り便宜を求める必要がありそのためには世俗側の立場をとらなければならなかった。信仰を守り世俗主義に染まらない市民の生活がどのようなものかは想像にたやすい。この市民がかたくなに拝金主義の世俗派と一線を画し続けたのは長年にわたるムスリム同胞団の活動がそうさせたと言える。


恐らく強い信仰も 『魂の軍備』 にあたるのでしょう。全員が非暴力に徹したかはわかりませんが、14日の座り込み排除では彼らの500人以上が軍・治安警察に殺された様子、誰も死を恐れていなかった筈です。 Chris Hedges は優れたジャーナリストと思いますが、 別記事 で紹介したその論評 【Murdering the Wretched of the Earth】 の冒頭

  • "Radical Islam is the last refuge of the Muslim poor" の書き出しから
  • "The only way to break the hold of radical Islam is to give followers of the movement a stake in the wider economy, the possibility of a life where the future is not dominated by grinding poverty, repression and hopelessness. " 、果ては最後の
  • "And if you want to know what they will look like visit any city morgue in Cairo. "

など読むと、思い上がり・勘違いも甚だしいと思える。彼らは貧乏だから 「急進?」 イスラムに走る訳ではない、信仰に忠実であるが故に貧しいのであって、彼らは行動によって生活への不満を発散させている訳ではなく、自分達の選んだ正義が踏み躙られたことに抗議しているのだと思います。カネで人が動かせると考える馬鹿な発想による論評、パール博士の書籍にも記載されている西洋の差別的・侮蔑的な観方として紹介しましたが。まあいいや、この戦い、軍が虐殺を続けるなら自滅する・させられることは明らかですから。


やや横道にそれましたが、大昔に与えられた憲法の文章を金科玉条の如く守るだけで何の犠牲も払わず平和に安住出来ると考える姿勢も間違いなら、わざわざ敵をこしらえて軍備増強して 『強くて美しい』 日本を創ろうなんて姿勢も大戯け、長くなるので割愛しますが 『同盟国』 との誤った関係をそのまま強化するのも愚の骨頂、先の戦争・支配を独善的に美化することで隣国との関係を損ねるのも狂気の沙汰。戦争・紛争だらけの世界を見ていると、パール博士の言葉にいちいち頷ける、至る所に解決のヒントがある。依って立つところが強固で正しくなければ、どんな手段でも平和なんて手に入らない。ある時代・地域だけに通用するのでは無い、普遍性のある 『平和の宣言』 であることを改めて認識したのが今年の成果でした。


どんな立場にいるにせよ、今のままではまずいよね。

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