遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

8月26日: 追悼 −−− 戦地で凶弾に倒れ殉職された もうひとりの日本人 伊藤和也さん

   伊藤和也さん1周忌: 用水路が全通した様です!!

  参考: 平山画伯逝去 他


今回は山本美香さんのことではありません。もっと若い享年31、ヒゲの似合う、静岡県のご出身;


ちょうど4年前の2008年8月26日、 ペシャワール会 のワーカーとしてアフガニスタン復興のための農業・灌漑事業に従事中拉致され殺害された 伊藤和也 さん;



出典不明 (昔のファイルから)


この経緯についてのウィキペディア記事 の内容には一部疑問がありますので、以下、ペシャワール会事務局長の福元満治さんが伊藤和也さん遺稿・追悼文集である 『アフガニスタンの大地とともに』 (石風社、2009年4月発行) に寄稿された 「あとがきに代えて」 より以下引用しますと;


−−−今回の犯人の一人は、パキスタンの難民キャンプ育ちの青年である。父親は事件の起きたダラエヌールの村出身で、十代の後半、ソビエトのアフガン侵攻直後に難民になったという (「朝日新聞」九月二三日)。


   アフガニスタンという国はその八割が農民で、二〇〇〇年から始まった大旱魃の前は穀物自給率が九割以上あった豊かな農業国である。その国で戦乱が続き旱魃が起こり、今だに三〇〇万人を超える難民や国内避難民がいる。つまり難民キャンプで育った子供たちは、かつて農民であった記憶やメンタリティをすでに失い、伝統的農村社会の秩序からも疎外された人々である。空漠たる土漠の上に果てもない難民キャンプ。夏場の気温は五〇度を超え、泥と日干し煉瓦でつくられた住居が色彩もなく廃墟のようにひろがる。水も作物もなく、日々の賃金を求めて大人たちは町に繰り出し、子どもたちもボロや金目のものを拾いに出かける。なかには身を売らざるをえない子供までいる。その難民キャンプからも日々追い立てを食っている。極論すれば、キャンプ育ちの子どもたちにとっての選択肢は、物乞いになるか、イスラム原理主義の兵士として越境して行くしかないのである。


   昨年 (二〇〇八年) の三月、アフガンの難民キャンプを訪れた時、パキスタン人の知人が、その殺伐たる光景に怒りに震える声で言った言葉が忘れられない。 / 「これでは何も起こらないはずがない」 と。


   難民キャンプを支配しているのは、戦乱という人災と旱魃という天災によって生み出された 「人心の荒廃=ニヒリズム」 である。農村的秩序や価値観を失った彼らの心の空洞に侵入してくるものが、 「カネ」 か 「カミ」 しかないのは、必然ではないかと思える。彼らが外国人から 「金」 を奪おうとするのも、原理主義の 「神」 によって外国人を排斥しようとするのも、つまるところ同根ではないのか。


   犯人の一人が今回の犯罪の動機を、 「金が目当て」 であったと語った時、そしてその二一歳の青年が難民キャンプで育ったということを聞いたとき、私は長い戦乱と旱魃によってもたらされた、難民キャンプを覆うニヒリズムを思わないわけにはいかなかった。


   この [ニヒリズム」 に立ち向かうにはどうすればよいのか。 (以下、ペシャワール会としてアフガン農村の復興事業を続行することで伊藤和也さんへの弔いと考える旨表明。 引用終わり)


これが 「憎っくき犯人」 の実像の様です。人質解放交渉でパニックに陥り? 発射した銃弾が伊藤さんの左足大腿動脈を貫通、出血性ショック死であったと報道されています。無論どんな事情であれ拉致も殺害も許されることではありませんが−−−


この件でペシャワール会代表でいらっしゃる 中村 哲 さんが集中砲火を浴びたのをよく覚えていますが、確固たる信念と伊藤さん追悼の意味もあり、会は着実に成果をあげている様子。日本では殆ど無視されていますが、恐らく現憲法下考えられる最高の国際貢献だろう、と私は思います;


ペシャワール会のホームページ

   Peshawar-kai English


永遠の31歳伊藤和也さん関連の記事を ペシャワール会報 より抜粋;


ペシャワール会現地代表 中村哲 弔辞
現地スタッフ 弔辞


ここにこそ動かぬ平和がある − 用水路は現地活動25年の記念碑

  


用水路に「開通」はあっても「完成」はありません / 突如襲う集中豪雨、自然との激闘、里人との軋轢。


なお、伊藤さん殺害前の記事で過去にも紹介したことがありますが、中村哲代表の 【ペシャワールから沖縄へ】 (18・最終回) / テロリズムという亡霊、中村哲 は、8年経った今でも変わらず通用する達見と思います。


最後に、改めて伊藤和也さんについて;


追悼 / 現地ワーカー 伊藤和也さん


  伊藤和也さん / ワーカー志望動機の文章

    −−−私の現在の力量を判断すると、語学は、はっきりいってダメです。農業の分野に関しても、経験・知識ともに不足していることは否定できません。ただ私は、現地の人たちと一緒に成長していきたいと考えています。 / 私が目指していること、アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に、戻すことをお手伝いしたいということです。これは二年や三年で出来ることではありません。 / 子どもたちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう、力になれればと考えています。 / 甘い考えかもしれないし、行ったとしても現地の厳しい環境に耐えられるのかどうかもわかりません。 / しかし、現地に行かなければ、何も始まらない。 (以下略、引用終わり)



−−− 掲載されている記事中一番胸が詰まるのは お母様の寄稿 。なおこの中で日本での司法解剖に際しての記述がありますが、これは今回帰国された山本美香さんのケースでもきっと同じでしょう。合掌。

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