遊蕩爺の漂浪メモ

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訃報: 吉武輝子さん死去

評論家の吉武輝子さん死去=女性問題、脱原発、80歳
  時事通信 4月18日(水)0時1分配信


  吉武輝子 - Wikipedia



脱原発をめざす女たちの会 Home


吉武さんが世話人を務められたもうひとつの会である 『戦争への道を許さない女たちの連絡会』 に関しては、その各地域本部らしきHPはあるものの総本部のHPが見当たりません;

 例: 戦争への道を許さない北・板橋・豊島の女たちの会(KITの女たちの会)


この会は吉武さんの呼びかけで1980年に創設されたものの様ですが、高齢化が進んだせいもあってか、 山田邦子 さんをはじめとする若い世代にバトンタッチされた模様。さて遺志を継ぐことが出来るか?;

  

  山田邦子さん、「反戦」の顔に 「女たちの連絡会」入り
    2006年12月11日、asahi.com


    −−− 吉武さんらが連絡会をつくったのは80年。「個人参加の超党派。偉い人を作らない」という方針で、各界で活躍する女性たちが「反戦」の旗の下に結集。日米開戦日の前日の12月7日、渋谷の山手教会に集まった女性は1500人を超えた。


   以来、「反戦ラソン演説会」を続け、国会の傍聴や座り込みもしてきた。しかし、創設時にいた評論家の石垣綾子さん、作家の佐多稲子さん、洋画家の丸木俊さんらは亡くなり、メンバーも高齢化した。


   吉武さんは「若い人にバトンタッチしながらエールを送りたい。邦ちゃんにも頑張ってほしい。反動の大きな歯車を止めるには、一人ひとりが砂利のような存在となって力を合わせることが大切だと思う」と話す。 (以下略、引用終わり)

『護憲』 と云う点だけには賛同し兼ねるが、最大限の敬意を表して以下吉武さんの発信を紹介しておきます;

吉武 輝子(戦争への道を許さない女たちの連絡会)@ 2001年5月3日憲法集会
  許すな!憲法改悪・市民連絡会 HP掲載
  

  私が敗戦を迎えたのは十四歳のときでした。そして私の戦後は、アメリカ兵の集団の性暴力からスタートしました。人間でなくなってしまった、そう思いこんだ私が人間であることを取り戻して、人間としての誇りをもった第一歩を踏み出したときに、あらためて戦争と性暴力、平和なくして平等はない、平等なくして平和はない、あらゆる暴力の根を絶たないかぎり、その象徴である戦争の根は絶つことはでききない、そう思って生き続けてまいりました。


  いま、その象徴の島が沖縄です。基地のない、軍隊のない、そうした島にしていきたい。沖縄の方たちは、安保条約は国と国の軍事の協定ではない、女であろうと子どもであろうと、身体の不自由な人であろうと、老いた人であろうと、安全に真夜中でも歩ける社会、人間保障時代をつくりたいと懸命に運動を続けています。私たちも願いは同じです。二十一世紀を人間保障時代にしていくために、どんなことがあっても、その基本の精神をもっている日本の平和憲法を守らなければならないと思っています。


  きょうはこの会場にまいりましたら、建物を取り巻くような多くの人たちが集まっていました。半分の方が入れないということです。私は涙が出るほど感動し、勇気が出ました。同じ思いをもっている方がこんなにたくさんいるのだったら、ひるんではならないと思いました。きょうからから、ともに人間保障時代をつくっていくために、平和憲法を守っていく、そうした活動にごいっしょに第一歩を踏み出させていただきたいと思います。


マッカーサーに押し付けられた現憲法には、金科玉条の様に護る価値は無いと考えます。「人間保障時代」 をつくるためには、困難も痛みも伴いますが国民の総意の下憲法を見直すことは避けて通れない。現憲法が沖縄を今の状況に押し込めたまま無力であることは事実でしょう。何故改憲を恐れるのか? キーになるとは云え憲法の一部に過ぎない第9条がなし崩し的にチャラになることが怖いのか? でも、万が一それが国民の総意 (あるいは多数意見) であったらどうするのか?


目指すのは人間保障時代であって、憲法と云う法律を護ることではありませんね? 何が何でも憲法改正ハンタイ! で行くのも選択肢のひとつですが、今までがそうであった様に何も変えられないし、人間保障時代は遠いまま。 そのあたりから議論しなければ、吉武さんのご遺志を継ぐことは難しいでしょう。