遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

私の大好きなフラメンコのこと その17: La Virgen del Rosario, Patrona de Cádiz, そしてサエタ のこと (続き)

カディスの守護者 ロサリオの聖母】


聖週間・復活祭のついでに、先日はマカレナの聖母を紹介しましたから、カディスのフラメンコの唄で頻繁に唄われる `La Virgen del Rosario, Patrona de Cádiz" のことも紹介しておかないと。


守護聖人 - Wikipedia によると、 『守護聖人』 はカトリック教会・正教会の信仰でありプロテスタント教会ではなされない、地域や職業にゆかりの深い聖人がいる、さまざまな称号 (あるいは呼び名) を持つ聖母マリアに捧げられている地域もある、とのこと。 (フランシスコ・ザビエルが日本の守護聖人だなんて知らなかった。)

  • 正式のお名前は結構長くて;



    出典: Semana Santa en Cádiz - Perdon, paso de Virgen
    María Stma. del Rosario en sus Misterios Dolorosos
    (Santísima Virgen del Rosario en sus Misterios Dolorosos)
    Cofradía del Perdón
    この 『コフラディーア』 とは、先日紹介の勝田保世さんの訳では 『氏子の団体』


    このサイトで "El 27 de marzo de 1980 fue bendecida por Antonio Dorado Soto, Obispo de la Diócesis, la nueva imagen de la Santísima Virgen del Rosario en sus Misterios Dolorosos, obra del escultor sevillano Francisco Buiza Fernández" との説明がありますから、現在の聖像は1980年の聖週間からの新しいものの様です。ではその前は? (下掲)


理屈抜きに素晴らしい彫刻・衣装ですね。マカレナに負けて ? いません。今年のカディスの山車の動画は、まだよいものがアップされていません。今日は (日本との時差が8時間あるハズ) 復活の日を祝っている筈ですから、それどころではないのかも。


蛇足ですが、以下記事中の "la Virgen del Perdón" は La Virgen del Rosario を指す筈。何故この Cofradía に、名闘牛士の誉れ高きパキリ Francisco Rivera - Wikipedia, la enciclopedia libre 、の闘牛の衣装が飾られているのかが書かれています。(今度行ったら是非見て来ようっと)


【Saeta】


先日紹介の、ヘレスでイエスの山車にサエタを 「投げかけた」 Angel Vargas さんは、フラメンコの中心のひとつである同市トップの Saetero の様です。幾つかの録画がYouTubeにアップされており、 教会の中で唄う YouTube なども素晴らしい。でも、先日紹介したものが最高でした。よそゆきではない、ご自分の裸の感情を、自分の持つ全てを使って神 (イエス) だけにぶつけたのがあの Saeta ですからーーー


以下、女性 (Saetera) および若い人の歌う Saeta を紹介。どれも素晴らしい!! (全てマカレナの聖母に歌いかけているもの)



  • Título: Saeta (Joana Jiménez)
    (今年のものと思われます)


  • Título: Manuel Lombo - Saeta a la Esperanza Macarena
    (これも今年のものと思われます)


  • Título: Saeta a la Macarena
    La saetera sevillana, Rosa Vergara le canta a la Virgen de la Macarena en el besamanos del templo.


    聖週間以外でもサエタが歌われることがあるのですね。動画冒頭の説明によれば、2008年12月18日マカレナの日、 el Besamanos (これが手への接吻と云う行事なのか、謁見の間の様な意味なのか不勉強でわかりません) で歌う、とあります。


  • Título: Rocío Jurado Saeta a La Macarena

Desde los Reales Alcázares de Sevilla. 1988.


おまけ、ロシオ・フラド Rocío Jurado - Wikipedia, la enciclopedia libre の歌うサエタ。商業的に大成功したスターですが、この人の唄の底には常にフラメンコが流れていたのだろう、と私は思います。実際、カネにはならないが 『純粋な』 フラメンコも唄えた筈です。その頃は皆そうであった様に子どもの頃から苦労された様ですが、靴屋兼フラメンコの唄い手 (蛇足ながら床屋兼フラメンコのギター弾きってのもいましたね) であった父親とスペイン音楽を愛する母親に育てられ、子どもの頃から頭角を現したとのこと。その頃の録画を紹介する動画もありましたので、参考マデ;



    • Título: CONCURSO FLAMENCO ROCIO JURADO DE NIÑA

【この時期、いつも悩むこと】


観光の目玉とは云え聖週間・復活祭の間、地元の信者も、多分その雰囲気に圧倒され感動させられる訪問者・観光客も皆善人と信じます。何故それが残りの1年とまで行かなくとも、せめてクリスマスまで続かないのか?


昔から敬愛する ひろ さちや さんの著作 『世間も他人も気にしない』 (文春新書、2008年6月20日第1刷発行、71・72ページより抜粋) に以下記述があります;

 もう故人になられましたが、昔、堀田雄康(ほったゆうこう)神父に、「キリスト教ってどういう宗教ですか? 一言で言って下さい」と質問したとき、神父はこんなふうに語られました。


「われわれは底無し沼にいるのです。底無し沼だから、そこから外に出ようとしても足場がありません。踏ん張れば踏ん張るほど、ますます沈んでしまう。また、自分で自分の髪を掴んで持ち上げて外に放り出そうとしたって、そんなことできるわけがない。だからわれわれは底無し沼で踠いて(もがいて)いるのですが、そこへイエスが来られて、みすからを底無し沼に横たえて、
”さあ、あなたがたは、わたしを踏み台にして、この底無し沼から脱出しなさい”
 と言ってくださった。われわれキリスト教徒は、イエスをそのような救世主と考えています」


 じつに見事な説明でした。


堀田神父の言葉を借りるなら、聖週間〜復活祭は多分、イエスが踏み台となってくれたことに感謝するお祭りと解しますが。1週間感謝はするが、せっかくの踏み台を踏み外して底無し沼に逆戻りしてやしないか、と云う気がしてなりません。