アメリカに侵攻されたパナマ; そういや、 ノリエガ将軍ってどうなったのだろう?
1989年12月10日から開始された米軍 (父ブッシュ政権時) の パナマ侵攻 (ウィキペディア) による混乱の中、翌1990年1月31日にアメリカ軍に投降して戦争捕虜となった独裁者ノリエガ将軍が、17年の刑期を終えたのちパナマへ送還されるとかフランスへ引き渡されると云う報道が一時期なされました;
- http://www.usatoday.com/news/world/2007-01-24-noriega-release_x.htm
Manuel Noriega scheduled for September release
Posted 1/24/2007 6:36 AM ET USA TODAY
MIAMI (AP) — Former Panamanian leader Manuel Antonio Noriega will be released from prison on Sept. 9, his attorney said Tuesday. (以下略)
- http://edition.cnn.com/2004/US/12/06/noriega.stroke/index.html
Noriega back in prison after stroke
Monday, December 6, 2004 Posted: 2017 GMT (0417 HKT) CNN.com
マヌエル・ノリエガ (ウィキペディア) には『−−−フロリダ州マイアミで服役中だったが、2007年9月9日に釈放された。』 と記載されていますが調べてみるとこれは明らかな間違いで、実際にはアメリカ政府が決定を先延ばしにしているためまだマイアミで服役中のまま? の様子。スペイン語版・英語版 Wikipedia では正しく記載されていますが;
最近の記事を拾ってみると;
- http://edition.cnn.com/2009/CRIME/01/14/noriega.prison/index.html
Courts try to decide what to do with Manuel Noriega
January 14, 2009 -- Updated 1944 GMT (0344 HKT) CNN.com
MIAMI, Florida (CNN) -- What to do with an aging, all-but-forgotten former military strongman who has served his time but is also a prisoner of war? (以下略)
- http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9C02E4DE123EF933A25752C0A96E9C8B63
WORLD BRIEFING | THE AMERICAS; Panama: Noriega Loses Another Round
By KIRK SEMPLE Published: January 10, 2008, NYT
−−−The lawyers said they would appeal. Mr. Noriega, who in September completed a 15-year (?) prison term in Miami, will remain in American custody until he exhausts all his appeals.
- ※ 15年? どうも刑期の計算のしかたがよくわかりません。これだと1993年から服役ですから、3年ブランクが−−−
ノリエガ将軍が独裁者であったことに異論を唱える余地は無い筈ですが、アメリカによる侵攻の口実は非常に胡散臭いものであったことを覚えています。丁度その前後に南米から帰国してバタバタしていたためか、私はその経緯についてどの程度報道されたのかよく覚えていませんが、上掲ウィキペディアに以下記載アリ;
- 侵攻作戦は「麻薬撲滅」と「独裁政権打破」を大義名分に掲げて行われたが、1999年にアメリカがパナマへ返還しなければならなかったパナマ運河に関する交渉を有利に進めるためだったとも考えられている。また一部では、ブッシュ大統領がCIA長官時代に、ノリエガ将軍による左派政権撹乱協力の見返りにコロンビア産コカインの密輸入を秘密裏に容認していたため、アメリカと対立を深めていたノリエガ将軍の口を防ぎ、自身の政治生命を守るために電撃的に発動した説がある。 (中略)
麻薬撲滅という大義名分を掲げての侵攻だったにも関わらず、21世紀初頭のパナマの麻薬流通量はノリエガ時代の2倍に増加した。これはそれまで「国家」によって統制されていた麻薬の取引網が開放されたためと伝えられる。 (以下略)
今釈放されても既に76歳近いですからもう表舞台に出ることは無いだろうし、フランスで10年服役するにしてもパナマで20年服役するにしても獄死でしょう。アメリカに濡れ衣を着せられたのでしょうが、軍事独裁者の末路としか言い様が無い。
ウィキペディアから再度引用しますと; 「ノリエガは、1950年代からCIAのために働いていたことも明らかになっている。ノリエガはブッシュ大統領がCIA長官時代にその手先となり、キューバのカストロ政権やニカラグアのサンディニスタ政権など中米・カリブ海の左派政権の攪乱に協力していた。だが、キューバの二重スパイとなった疑いがもたれている。」 考えて見ればノリエガ将軍は、多くの 『アメリカの敵』 同様、もともとアメリカに見出されて訓練され、その国益のために働かされた挙句に捨てられると云う、お決まりのルートに乗ったのが運の尽き。 ⇒ PANAMA: THE RESUMÉ OF MANUEL NORIEGA, THE MOST FAMOUS GRADUATE OF THE SCHOOL OF THE AMERICAS 悪名高きSOA (= School of the Americas, 現 西半球安全保障協力研究所 (ウィキペディア)) の優秀な卒業生です。
なおアメリカは1983年、カリブ海の小国グレナダにも侵攻。 グレナダ侵攻 (ウィキペディア) では以下紹介されています;
- −−−この侵攻はイギリスやトリニダード・トバゴ、カナダの強い批判を受け、国連総会では「国際法の破廉恥な侵害」として非難された。 (中略)
- グレナダ侵攻を命じたレーガン大統領は、同侵攻について行った演説で、映画「ダーティハリー」の中でクリント・イーストウッド演じるハリー・キャラハンが吐いた名台詞「Go ahead. Make my day.(やれよ。楽しませてくれ。)」を引用、 物議を醸した。
- そのクリント・イーストウッドは、後に自らが監督・主演した映画『ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場』(1986)で、グレナダ侵攻を扱った。
全くふざけた国です。