遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

分離壁のこと: 東西ベルリン および ヨルダン川西岸、 南北朝鮮 など

ベルリンの壁崩壊から20年を記念した様々なイベントが行われている様です。例えば;

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091109-00000552-reu-int
ベルリンの壁崩壊20年、イベント目玉に「巨大ドミノ倒し」
11月9日13時5分配信 ロイター


−−−記念行事のハイライトとなるのは、壁崩壊をイメージさせる巨大なドミノ倒し。


 発泡スチロール製ドミノは高さ2.5メートルで重さは20キロ。子どもたちの手で色とりどりに塗られた1000個のドミノが1.5メートルおきに並んでおり、ポツダム広場からブランデンブルク門に向けて倒される予定。


 壁崩壊記念ドミノを最初に突くのは、東欧の民主化で重要な役割を果たしたポーランドワレサ元大統領だという。


1989年11月9日に実際には何が起こったか ベルリンの壁崩壊 (ウィキペディア) に概要が説明されています。この日、

  • 11月10日から ベルリンの壁をのぞく国境通過点 から出国のビザが大幅に緩和される」

と云う政令が政府首脳部の審議を通過したものの、大混乱の中、東独政府スポークスマンが内容をよく把握しないまま (意図的だった、と思いたいが) 現地時間19時頃から記者会見を始めてしまい、

と発表、席上で記者からの 「(この政令は)いつから発効されるのか」 との質問に対し

  • 「私の認識では 直ちに です」

と答えててしまったために国境ゲート付近にゲートを越えようとする市民が殺到。同日21時頃には東ベルリン側でゲートに詰めかける群衆が数万人にふくれあがったものの国境警備隊は責任者が逃げてしまったため、日付が変わる直前の0時前、現場の警備隊がゲートを開放して東西ベルリンの国境が実質開放された、と伝えられています。この時の様子は私はベネズエラで観ていましたが、確かTVで世界中に放映された筈;



出典: Post Cold War Intelligence FAQ
参照: ベルリンの壁 (ウィキペディア)
    Berliner Mauer (Wikipedia DE)
    ブランデンブルク門 (ウィキペディア)
    Brandenburger Tor (Wikipedia DE)


しかし11月9日はベルリンを東西に分ける壁の崩壊が始まった記念すべき日ではあるものの、その後1年弱を経た翌1990年10月3日、西ドイツ基本法23条に基づき、東ドイツの州を併合する形で東西ドイツが一体化した経緯があります;


出典: ドイツ再統一 (ウィキペディア) 中の
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:BRD-DDR.PNG 改

しかし当然全てがバラ色では無い訳で、上掲ウィキペディアおよび散発的な報道によると;

再統一後の問題点


ドイツは40年に亘って分断されていたため、旧西ドイツと旧東ドイツでは大きな経済格差がある。その比率は専門家によると3:1だったと言われる。その影響は現在に至るまで続き、再統一後のドイツはアメリカ一極体制の席巻も重なって深刻な不況に襲われている。


コール首相は、整理解雇請負会社「ドイツ信託公社」に依頼し、東ドイツ国営企業の民営化や大規模な整理解雇を行った。


旧西ドイツでは経済混乱に足をすくわれ、統一の際1:1での通貨交換をしてしまったため、5000億マルク(当時の日本円にして約3兆5000億円)が吹き飛び、赤字転落してしまった。また、旧東ドイツでは民営化された国営企業が相次いで倒産し、失業者が増加している。そのあおりで極右政党が移民排斥を掲げると競合してしまう国民の共感を得る傾向があり、東西ドイツ時代には封じられていたネオナチ思想も、格差の残る旧東ドイツを中心に息を吹きかえしているといわれる。再統一後も旧東ドイツへの援助コスト増大などによって、旧西ドイツの経済はかなり圧迫されたが、2006年以降は景気回復の兆しが見えている。 (以下略)


以下紹介の記事は、ある調査会社 (アメリカのシンクタンクである Pew Research Center 社 *1 ) が旧東欧圏内で行ったアンケート End of Communism Cheered But Now With More Reservations / Two Decades After the Wall's Fall / November 2, 2009 の結果を伝えるもの;

http://www.europapress.es/internacional/noticia-paso-democracia-europa-pierde-apoyo-20-anos-despues-caida-muro-20091108124722.html
20 años después de la caída del Muro
El paso a la democracia en Europa del Este pierde apoyo
Lunes, 9 de noviembre 2009 ep europa press


2つの体制を経験された方々の旧体制へのノスタルジー? は過渡的なもの、と片付けることは難しそう。


なおこのベルリンの壁崩壊では、額のシミのゴルビーこと ミハイル・ゴルバチョフ (ウィキペディア) のお株が上がりました。この人、ロシア内での評価はあまり芳しくは無いものの 「自由主義圏」 では今でも大スターですね;


さてお祭り騒ぎは欧州に任せておくとして、11月9日を祝うのであれば、今日現在ベルリン同様に壊すべき 『壁』 はまだまだ残っています。今回、我々にとっては最も身近な南北朝鮮については準備不足のため、全く別の事情から建設されたヨルダン川西岸の分離壁についてひとこと;

http://mainichi.jp/select/world/news/20091108k0000m030035000c.html
イスラエル:「分離壁」一部破る パレスチナ人の若者が
毎日新聞 2009年11月7日 19時37分(最終更新 11月7日 22時19分)


 【エルサレム前田英司】ロイター通信によると、イスラエルの占領地ヨルダン川西岸中部の村ニリンで6日、イスラエルが建設した「分離壁」の一部をパレスチナ人の若者らが破った。現地では壁に抗議するデモがあり、参加者は89年11月の「ベルリンの壁」崩壊にちなんで「どんなに高い壁も必ず倒れる」と訴えた。 (以下略)



出典: 上掲記事



出典: 分離壁 (ウィキペディア) 中の
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Israeli_West_Bank_Barrier.jpg



出典: 分離壁 (ウィキペディア) 中の
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:BarrierMay2005.png



出典: Google Map による、分離壁最北端の航空写真
   座標: 32.551986,35.224539 付近


この分離壁 (堀 + 有刺鉄線 + 電気フェンス + 幅60〜100mの警備道路 + コンクリート壁 で構成) はイスラエルが勝手に建設したもの、 「自爆テロ防止」 は表向きで実際にはパレスチナ人の封じ込めであり、パレスチナ人の生活を妨げていることは世界中で周知の事実。国連も非難決議行っていますがアメリカの後ろ盾があり無視。

http://www.un.org/apps/news/story.asp?NewsID=11418&Cr=middle&Cr1=east&Kw1=West+Bank&Kw2=Barrier&Kw3=
UN Assembly votes overwhelmingly to demand Israel comply with ICJ ruling
20 July 2004 The United Nations General Assembly


20 July 2004 – The United Nations General Assembly today voted overwhelmingly to demand that Israel comply with an advisory opinion issued earlier this month by the World Court, which declared the construction of a separation barrier in and around the West Bank to be illegal. (以下略)


ユダヤ人に個人的な恨みなどありませんが、イスラエルおよびアメリカの姿勢には嫌悪感しか感じません。私は出来る限りイスラエル支援企業の提供する製品・サービスをボイコットする様心がけています。屁の突っ張りにしかならないでしょうが−−− ⇒ イスラエル支援企業リスト / スターバックスなど / パレスチナ情報センター


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