遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

戦後64年経った今、何が未解決で残っているのか? その1

8月15日の終戦記念日に向け、何が64年経った現在でも未解決で残っているのかを主に自分の認識の棚卸と刷新のために整理することに:


私は戦争そのものが犯罪と認識していますが、先の大戦の処理に際してそのような認識は当然無かった訳で。戦後処理について私の中に漠然とあるイメージは、幼稚で我ながら情けないのですが;

  • 無条件降伏をした敗戦国として、茶番でしかない裁判により断罪された。同じ戦争裁判であるニュルンベルク裁判の方がまだマシであった。レベルとしては、そうそう、サダム・フセインを縛り首にした軍事裁判とどっこいどっこい。
  • ただし東京裁判時たったひとりの判事が、戦争中のことにつき日本は無罪であるとの論陣を張られたものの、無視された。
  • 原爆投下に関しては戦勝国の行為ゆえ、当然の様に不問に付された。(ある意味ナチのホロコーストよりも残虐と思うが)
  • 東京裁判の判決により死刑となった軍人が靖国神社に祭られており、毎年どの閣僚が公人としてあるいは私人として参拝するか・しないかで国じゅうが大騒ぎをしている。(お花見はいいのかしら?)
  • 日本は戦後巨額の賠償金を支払ったものの、従軍慰安婦問題やら南京大虐殺やらについて責任を取れとの声が大きい。南京大虐殺については、どうもあるにはあったらしいが、人数がはっきりしない。そんなことは無かった、全くのデッチあげである、と言う意見は、ホロコーストは無かったと言うのと同じくらい犯罪とみなされている。
  • 日本国内には、「日本は悪いことをして戦争に負けたのだから、原爆を落とされても仕方がなかった」という極端な・病的な自虐史観、あるいは「日本は確かにアジア諸国を侵略したが、欧米のようなアコギなことはしなかった」という手前味噌?史観などがある。
  • いすれにせよ、日本は天皇陛下が何度か頭を下げられ不幸な過去について心を痛められたと記憶するものの、国民主権 (の筈の) 国家としてどの様に考えどの様に対応するのかいまだに明確にしていない。結果、事あるごとに戦争責任を持ち出され、アジアの中でもイニシャチブを取れない。にもかかわらず、国連常任理事国になりたいなどという身の程知らずな野心?を抱いているらしい。
  • 戦後GHQの管理下に置かれ、もちろん先人の血の滲むような苦労があったにせよ時運も手伝い、経済的には奇跡的な発展を遂げた。しかしその過程で独立国としての自覚は徐々に失われ、アメリカのサイレント・パートナー (パートナーと云うと同格だから、実際はサーバント?) であることに甘んじる体質がしみついてしまった。悪く言えば、いまだにGHQの管理下にあるノリ。
  • 戦後、戦勝国であるアメリカから実質押しつけられたとは云え、あるいはその故に、戦争の放棄をうたった世界でも稀な新憲法が発布された。にもかかわらず、日本はアメリカが 『テロとの戦い』 などというふざけた侵略戦争を行うにあたってはそれを支援し、アメリカの実質的な核実験の強行には抗議しないくせに取るに足らない隣の小国の核実験には過剰に反応し、極めつけは、被爆国であるにもかかわらず 「アメリカの核の傘」 に入る、と云う不可解なことをやっている。与党はそれを 『国防』 と呼んで自慢しているらしい。


主に以上の観点から、日数があまり無いし私の能力の問題もあるので一部の上っ面をなめるだけになるとは思いますが、順不同に考察の真似ごとをしてみたく。


手始めに、今日ののニュースで取り上げられていた、靖国神社参拝の件から;


今日 (8月11日) 付けだけでYahooの 靖国神社参拝問題トピックス には以下記事が列挙されています;


で、そもそもヤスクニジンジャとは? いつも目次・指針のひとつとしてお世話になっているWikipediaによると、


靖国神社靖國神社、やすくにじんじゃ)は、東京都千代田区にある神社。旧称は東京招魂社。幕末から明治維新にかけて功のあった志士達から、戊辰戦争以降の日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉死した日本の軍人、軍属等を主な祭神とする。

2004年10月17日現在246万6532柱が祀られており、そのうち大東亜戦争 (太平洋戦争、ただしインドシナ戦争などの大東亜戦争後のアジア独立戦争で戦没した者も含む。) で祀られているのが213万3915柱、と圧倒的に多い。と云うことは、何も戦犯として処刑された軍人だけが祀られている訳ではありませんね。戦後の合祀としては;

  • シベリア抑留等での死者、戦争終了後に自決した者
  • いわゆるA級戦犯とされ刑死した者、BC級戦犯として刑死した者は、昭和殉難者として祀られている。
  • 戦後に殉職した自衛官海上保安官、政府職員などに関しては祀られていない(ただし、各県の護国神社で祀られることもある。)。


Wikipediaの説明を読んでいて本当に恥ずかしく感じるのは、GHQが靖国神社を焼き払おうとしてモメた際、意見を求められたブルーノ・ビッテル神父 (当時のローマ教皇庁代表かつ上智大学学長) のものとされる次の言葉が無駄になってはいないか?と云う点;

「いかなる国家も、その国家のために死んだ戦士に対して、敬意を払う権利と義務があると言える。それは、戦勝国か、敗戦国かを問わず、平等の真理でなければならない」

靖国神社を焼却する事は、連合国軍の侵略政策と相容れない犯罪行為である」

靖国神社国家神道の中枢で、誤った国家主義の根源であるというなら、排すべきは国家神道という制度であり、 靖国神社ではない。我々は、信仰の自由が完全に認められ、神道・仏教・キリスト教ユダヤ教など、いかなる宗教を信仰するものであろうと、国家のために死んだものは、すべて靖国神社にその霊をまつられるようにすることを、進言するものである」


級を問わず、東京裁判の判決で死刑となった方々は皆犯罪者でしょうか? 東京裁判の本質は戦勝国が敗戦国を一方的に断罪したリンチに過ぎず、強いて言うなら戦争に負けたことが犯罪と云うことになる、と私は考えます。命令を下す立場にある上級将校なら 「自分たちが負けたら、自分は戦犯として裁かれる」 ことを認識している筈です。戦争に勝てば英雄で、負ければ犯罪者、と云うのは、どう考えてもリクツに合いませんね。


戦争に駆り出されて戦死された方々のご遺族の気持ちを考えると、戦争に勝てばハッピーで負けたら駆り出した張本人を怨むのでしょうか? 違いますよね、どっちにしても亡くなられた方は帰って来ません。戦争に駆り出した国家なり体制を許さない筈です。名誉の戦死、おかげで戦争に勝てましたなんて、悪い冗談でしかありません。従って、戦犯だから祀ってはならない、祀ってあるところへ行ってもいけない、と云うリクツはどこかおかしいと感じます。戦犯かどうかを問題にすること自体が間違いなのでは?


ですが、多分すっきりした論理なり結論は無いでしょう。戦争は殺し合いですから。だからやっちゃあいけない、と私などは単純におもうのですが。後々収拾が付かなくなる。