遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

長崎市への原子爆弾投下: 1945年(昭和20年)8月9日、午前11時02分

 Wikipedia
この写真は米軍によって撮影された、3分50秒の16mmのカラーフィルムからの映像と思われます。1980年日本へ提供され、現在は長崎原爆資料館所蔵の様です。


今日は64年目のナガサキ原爆記念日、亡くなられた方々のご冥福を祈ります。


先日原爆による死亡者数を羅列しましたが、色々調べてみると実に様々な数字が出てきます。明らかな誤解・誤記もある様なのですが、長崎・広島両市の公式サイトで公表されている死亡者数を下記します *1

  長崎市  73,884 人 原爆の威力 原爆災害報告

  広島市  約14万 人 昭和20年(1945年)12月末までの推計
                 死者数(原爆被害の状況)

また、本日奉安された長崎原爆死没者名簿は、新たに死亡が確認された人3,304人の名前が書き加えられた14万9288人。(昨年までの分が145,984人)

※2009年9月7日訂正:


ながさき原爆被爆対策ウェブサイト >> 原爆死没者名簿 による最新の長崎原爆死没者名簿では14万9266人とのこと;

  


長崎市に投下されたものはプルトニウム原爆で、その3日前に広島市に投下されたウラン原爆の約1.5倍の威力があったものの、長崎市は周りが山で囲まれた特徴ある地形であり、熱線や爆風が山によって遮断された結果広島よりも被害は軽減されたとのこと。 (Wikipedia 長崎市への原子爆弾投下 からの抜粋)


さて平成21年長崎平和宣言ですが、オバマの 『プラハ演説』 が中心となっている点では広島のものと同じですが、単に尻馬に乗って画餅に帰しかねない美辞麗句を並べ立ててそれに酔うノリではなく、被爆都市ならではの視点から泥臭くより具体的な行動を提案し、世界に呼び掛けるものとなっています;

長崎平和宣言 からの抜粋;

  • 核兵器を使用した唯一の核保有国として行動する道義的な責任がある」という強い決意に、被爆地でも感動がひろがりました。
     核超大国アメリカが、核兵器廃絶に向けてようやく一歩踏み出した歴史的な瞬間でした。
  • 保有5カ国は、自らの核兵器の削減も進めるべきです。アメリカとロシアはもちろん、イギリス、フランス、中国も、核不拡散条約(NPT)の核軍縮の責務を誠実に果たすべきです。
     さらに徹底して廃絶を進めるために、昨年、潘基文国連事務総長が積極的な協議を訴えた「核兵器禁止条約」(NWC)への取り組みを求めます。インドやパキスタン北朝鮮はもちろん、核兵器保有するといわれるイスラエルや、核開発疑惑のイランにも参加を求め、核兵器を完全に廃棄させるのです。
  • --- そしてすべての世界の指導者に呼びかけます。
    被爆地・長崎へ来てください。
     原爆資料館を訪れ、今も多くの遺骨が埋もれている被爆の跡地に立ってみてください。1945年8月9日11時2分の長崎。強力な放射線と、数千度もの熱線と、猛烈な爆風で破壊され、凄まじい炎に焼き尽くされた廃墟の静寂。7万4千人の死者の沈黙の叫び。7万5千人もの負傷者の呻き。犠牲者の無念の思いに、だれもが心ふるえるでしょう。
     かろうじて生き残った被爆者にも、みなさんは出会うはずです。高齢となった今も、放射線の後障害に苦しみながら、自らの経験を語り伝えようとする彼らの声を聞くでしょう。被爆の経験は共有できなくても、核兵器廃絶を目指す意識は共有できると信じて活動する若い世代の熱意にも心うごかされることでしょう。


この宣言文は10国語に翻訳されており、大変説得力のあるものと私は判断します。これなら世界中のどの国でも好意的に受け止められるはず。


なおコトの本質とはあまり関係無いかも知れませんが、 『長崎平和宣言』 のHP および 『長崎市平和・原爆 総合ページ』 共に大変充実しておりかつ見やすい工夫がなされており、特に 平和宣言解説書 (これは日本語のみ) は出色の出来。是非ご覧あれ。広島市との単純な比較はもちろん出来ないしするべきでもありませんが、率直に言って私が長崎市HPと今回の宣言から感じるのは、その実直さ・誠実さです。


なお平和宣言に引き続いて奥村アヤ子さんが平和への誓いを朗読されましたが、本来この全文もHPに掲載・翻訳されるべきですね。(見方が悪いのか、見つけられない−−−)


さてこれで広島・長崎両市の平和宣言がなされましたから、次なるステップは日本政府の対応、と云うことはそれを選んだ我々有権者の対応が問題となります。宣言の中で要求されているのは;

  1. 日本国政府は、「黒い雨降雨地域」や海外の被爆者も含め高齢化した被爆者の実態に即した援護策を充実すると共に、今こそ省庁の壁を取り払い、「こんな思いを他(ほか)の誰(だれ)にもさせてはならぬ」という被爆者たちの悲願を実現するため、2020年までの核兵器廃絶運動の旗手として世界をリードすべきです。(広島の平和宣言)

  2. 日本政府はプラハ演説を支持し、被爆国として、国際社会を導く役割を果たさなければなりません。また、憲法の不戦と平和の理念を国際社会に広げ、非核三原則をゆるぎない立場とするための法制化と、北朝鮮を組み込んだ「北東アジア非核兵器地帯」の実現の方策に着手すべきです。(長崎の平和宣言)

  3. 原子爆弾が投下されて64年の歳月が流れました。被爆者は高齢化しています。被爆者救済の立場から、実態に即した援護を急ぐように、あらためて日本政府に要望します。(長崎の平和宣言)


1番の一部と3番は同じこと (被爆者の援護) ですね。ごく当たり前のことではあるが、それが遅滞なく実行されているかを有権者としては監視しなければなりません。私は原爆投下は 『人類に対するあからさまな犯罪行為』 と捉えておりますから、被爆者のケアの最終責任は加爆者 (加害者) にあると考えます。ただし同時に、この観方が認められるのは相当先のことだろうと云うことも認識しておりますから、直接・間接を問わず被爆者の高齢化を考慮して日本が立て替え払いをしておくことに異存はありません。

ただし、当たり前のことNo.2として忘れてならないのは、被爆者 (被曝者) は日本人あるいは日本在住とは限らないと云う点;


出典: 中国新聞

認定どころか入国に際して様々な制約があることは想像に難くないのですが、ここは 『疑わしきは罰せず』 ならぬ、 『疑わしきは認める』 でやらざるをえないでしょう。高齢でかつ後遺症に苦しまれていらっしゃるのですから−−−


次に1番の一部と2番; 残念ながら、日本は 「国際社会」 では一人前のオトナとして認知されていません。その行動原理が単純にアメリカ追従ですから。カネがあるだけでは駄目なのです。また身内のアジア圏でもイニシャティブは取れません。前の理由に加えて、戦争責任を曖昧にしているから。従い、今のままでは世界やアジアのリーダーとなることは不可能です。会議の主催者にはなれますが。


ハナシを少し前に戻しますが、ヒロシマ原爆記念式典参加のため来日されたマハティールさん *2 から実に的を得たアドバイスを頂いています; (私個人的には憲法の部分は賛成し兼ねますが)

戦争は犯罪」=原爆の日を前に広島で講演−マハティール氏
8月5日18時56分配信 時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090805-00000121-jij-int


 来日中のマレーシアのマハティール元首相(83)は5日、広島市中区で講演し、「戦争を犯罪と考え、拒否することによって世界平和を実現しよう」と呼び掛けた。マハティール氏は6日、同市主催の平和記念式典に出席する。

 講演で同氏は、これまで紛争解決手段として戦争が許されてきたと指摘。その上で「平和のために考え方を変えなければならない。人を殺すことは問題解決手段として受け入れてはならない」と訴えた。また、日本の憲法9条について「日本だけでなく世界がこのような憲法を持つべきだ」と力説した。

 講演後、夫人と一緒に平和記念資料館を訪問。前田耕一郎館長(60)の説明に何度もうなずきながら展示物を見詰めた。最後に記帳台に向かい「この展示を見た人が平和の必要性を理解し、人間が人間にもたらすこのような悲劇が決して起こらないことを願う」などと記した。 

.<広島原爆の日>マハティール氏「非核の訴え日本の義務
8月6日12時14分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090806-00000046-mai-soci


マレーシアのマハティール元首相が6日、広島の平和記念式典に初めて出席した。マハティール氏は毎日新聞の単独会見に応じ、「日本は核兵器保有する米国などに対し積極的に非核を訴えるべきだ。それが世界で唯一の被爆国である日本の義務だ」と提言した。

 日本の若い世代に対しては、「憲法9条を守り、米国には友人として『悪いところは悪い』ということが大切だ」と述べた。

 マハティール氏は今回、講演などのため来日。5日に広島入りしした。式典後の記者会見で「広島で多くの方が核廃絶に向けて努力していることを知り、その思いを新たにした」と感想を述べた。

 オバマ米大統領プラハ演説については、「核兵器廃絶に向けた小さな一歩。大切なのは核兵器の削減をどれだけ具体的に進められるかだ」との認識を示した。【重石岳史】


これから終戦記念日を迎えます。それまでに、何が未解決で残っているのかを少しずつ整理してみたいと考えています。


(このところ身辺整理やら原爆の日終戦記念日で忙殺されており、肝心の山岡朋子さん翻訳関連は少しお休み頂かざるを得ません −−−)

*1:なおこの変更は先日8月7日付け記事にも反映済み

*2:マハティール・ビン・モハマド、マレーシアで1981年〜2003年まで6期22年の長きに渡り首相を務められた。独裁的・過激な発言などネガティブな評価も多いが、大の親日家。常に辛口の助言をされる、日本にとっては得難い友人、と私は評価しています。参考まで以下Wikipediaより抜粋


日本について

息子や娘を日本の大学に留学させたり日本に関する著書を出したり、あるいは政治の舞台から離れた現在では日本人と共同でベーカリーを経営するなど熱烈な親日家である。

「日本は、いつまでアメリカの言いなりになり続けるのか。なぜ欧米の価値観に振り回され、古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。そして、若者は何を目指せばいいのか。日本人には、先人の勤勉な血が流れている。自信を取り戻し、アジアのため世界のためにリーダーシップを発揮してほしい」とアジア外交について述べ、日本政治の問題について助言をしたことは有名である。

一方、日本の経済成長をマレーシアの発展の参考にするなどしてきたが、現役時から現実的な目線で知られ、近年の日本経済停滞を批判的に注視している。

また、近年の日本の若者に茶髪が多いことを批判し、「従来のように日本に見習うのを止めるべきだ」と主張した。