私の大好きなフラメンコのこと その2: 女王 カルメン・アマジャ
私はあまり踊りには興味が無いのですが、それでも何人かつよく惹かれる踊り手がいます。そのひとりが、古今を通じて『女王』の名を冠することに誰も異論を唱えないであろう gitana(スペインジプシーの女性)、Carmen Amaya (1913 - 1963) です;
主に Flamenco-world.com のアーチスト名鑑の記事を中心に簡単に履歴を紹介すると;
1913年バルセロナのソモロストロ地区で生まれ、4歳ごろからギタリストであった父親と共に人前で踊りや唄を披露、後には映画などにも出演して生計を立てた。スペイン内乱の勃発した1936年に一族郎党と共に米州大陸へ遁れ、主にアメリカ合衆国を中心として北中南米で広く活動、1947年スペインへ帰国。1952年、同僚のギタリストであったフアン・アントニオ・アグエロと結婚、1963年に亡くなるまで幸せな結婚生活を送った。(ただし亡骸をどこに埋葬するかでモメた様です。これだけの大スターになると避けられないことですが)
カルメンは生まれつき?腎臓の機能が不全であったらしく、踊って大量の汗をかいている限り問題は無いと云う、文字通り踊りが命を支えていた様です。ただし結局これが原因で1963年8月8日、巡業先で公演中に50歳の生涯を終えた。
カルメンの踊りに関しては、ピラル・ロペス、ビセンテ・エスクデロなど斯界最高峰の踊り手から、これ以上は考えられない程の賛辞が与えられています。私が読むに、また踊りから感じることは、その力強さとスピード、それと同居する女性らしい優雅さ・端正さ、独自性が高く評価されていますね。なお唄も数多く録音されており、そのきっぷのよさは一級品で私は大好きです。父親はカルメンを唄い手にしたかった様です。
YouTubeで幾つかの動画が見られます。これらに限らず音と映像がビミョーにずれてますが、以下3つ紹介しますね;
1944年(このビデオの題名から。*1)
一般的な女性のスカートよりズボンとベストが似合いますね。スカートだと踊りにくかったのかも。
1959年(46歳、バルセロナ市内に自身の名が付され設置された噴水の、落成式典を伝えるTV番組から)
かなり小柄ですが、踊っている時はそう感じさせない。体に収まりきれない踊りが周りに発散しているせい?
1963年(晩年、スペイン版ロミオとジュリエット "Los Tarantos" に、ロミオの母親アングスティア役で出演)
唄もいいでしょう!!映画ではこれ以外にもカルメンの出演シーンや、アントニオ・ガデスの踊り(男の私が観てもかっこいい!!特にファルーカの踊り)など多数あり。
なお最後に紹介の映画(邦題は『バルセロナ物語』、カルメンや他アーチストが観たくてビデオを買った、私や私より年配の方々は多かったハズ)について、 Flamenco-worl.com の記事から以下抄訳で紹介しておきます;
https://www.flamenco-world.com/tienda/autor/carmen-amaya/137/
注: このサイトは一部日本語で見られます。
−−−この最後の出演作は63年春に撮影されたが、寒い中裸足で踊るなど、カルメンにとって相当ハードなものだった。休憩に入るとすぐに防寒着を着ていたが、カルメンのミスによる撮り直しは一度も無く、きっちりと役をこなした。撮影終了後すぐに夏の巡業に出掛けそこで亡くなったためカルメン自身はこの映画を見られなかった−−−
Carmen Amaya については、スペイン本国のみならず、北中南米にも相当数の記録 −−− 録画なり録音が残されている筈です。誰か Carmen Amaya の伝記を書いてくれないかな、と勝手に期待しているのですが。今までに幾つか発行された形跡はあるものの、Webで見る限りその全生涯を扱ったものが無い様な。
私には私のこだわりがあってここには書き切れない程の想いがありますが、Carmen に魅せられたひとは皆各々の想いを抱いています。Webなどで検索すれば、それこそ山のようにヒットしますので読んで見るのもおもしろい。
⇒ 私の大好きなフラメンコのこと その11: 女王 カルメン・アマジャ その2 へ続く
●2009年4月25日、最初の動画「1944年」リンク貼り直し
●2011年4月28日、2番目の動画 (1959年) リンク貼り直し
*1:題名から辿って調べてみると、出所が1944年ユニバーサルピクチャーズが作成した "Follow the Boys" と云う音楽フィルムの様です。
url: http://en.wikipedia.org/wiki/Follow_the_Boys より
と云うことは、恐らくカルメンが渡米した1936年より前に撮影されたものでは?