遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

翻訳家 山岡朋子さん その26 林語堂さん著 『蘇東坡』 のこと

2008年10月1日付け【翻訳家 山岡朋子さん その8】にて紹介の山岡朋子さんエッセイ;

http://shuppan.sunflare.com/tosho/4_sotoha.htm

仕事・私事などに忙殺されながら複数の本を平行して読んでいたため相当時間がかかってしまいましたが、山岡朋子さんの上掲エッセイに触発されて購入の『蘇東坡−上下巻(講談社学術文庫、創刊30周年記念復刊)』をようやく読了。

偉大な文人としての蘇東坡については審美眼の無い私ごときが今更どうこう言うものではないが、生き方に共感するひとは多いのでは?時代も環境も違うので直接比較などしようがないが、身につまされるのではないか。誰でも呉復古の様に心身ともに?自由人でありたいと願うものの、実際には色々なしがらみから意に反した環境に置かれることが多いのでね。

口、というより筆が災いして自由を奪われたのだろうが、それが蘇東坡の蘇東坡らしいところ。世渡りのうまい蘇東坡なんて、ちょっと想像出来ませんね。蘇東坡は精神的には自由人だった訳ですから。そこが愛されて、当時の中国であれば死刑になってもおかしくない状況下でも助けられたのでしょう。もちろん運も良かったのでしょうが。

どんな環境にあってもそれを受け入れ楽しみを見出せるだけの余裕があったことも素晴らしい。また見方を変えれば、意に反してあちこちに飛ばされたことも決してマイナスでは無いとおもう。自分の行きたいところだけ行っていたのでは決してすることの出来なかったであろう体験が出来、それが文人の肥しにもなったであろうから。(でもトシを取ると辛かったでしょうね)

作品中色々な詩が紹介されていますが、特に感銘を受けたものがありました。読むのに時間がかかり過ぎてどれだったか探すのがホネなので、この紹介は別の機会に譲ることに。(奥様に捧げたものだったか?)


以上が読み終えてのいい加減な感想ですが、翻訳に関してひとこと。

2008年10月1日付け【翻訳家 山岡朋子さん その8】に、『ひょっとするとアメリカ人読者を想定して英語で書かれたものなのか?おいおい調べてみることに。』 とボケたことを書きましたが、下巻の「解説」にちゃんと書いてありました;

−−−本書は、1947年、彼(=林語堂さん)が52歳のとき、ニューヨークにおいて出版した「 THE GAY GENIUS - The Life and Times of Su Tungpo」を全訳したものであるが −−−


講談社学術文庫 蘇東坡(下) 林語堂/合山究訳 2006年5月10日発行 第6刷 324ページより抜粋


林語堂さんは1936年渡米以来30年間主に米国で執筆されたそうですが、あくまで中国人としてのアイデンティティーを貫かれた。するとこの原著は、コスモポリタンである中国人が、敬愛して止まない自国中国の文人について英語で書かれたものですね。するとある意味、オリジナルの著作そのものが既に翻訳書と云えそう。私が読んだのは、更にそれを日本語に翻訳したものですから、やはり距離があるはず。林語堂さんがご自分でいちばん愛着をお持ちだった書籍の様ですから、これは是非英語の原著で読んでみたい。

小説では無く作者の思い入れの詰まった伝記ですから、読むのには相当ホネが折れるのは覚悟しなければなりませんが、我々が慣れ親しんだ(とは言っても私の場合、学校で習っただけですが)漢詩が横文字でどの様に表現されているのか、と云うより林語堂さんがどの様に『翻訳』されたのか大変興味があります。これ以上の翻訳はあり得ないレベルのものであることは間違いが無いでしょうからね。漢字によって与えられるイメージではなく、無味乾燥なアルファベットをどの様に組み合わせて紡いでいらっしゃるのか−−−


この出会いを与えてくれた山岡朋子さんに改めて感謝!! なお書籍は、冒頭紹介しましたエッセイから購入可です。以下、プリントイメージ貼り付け:



サイトにアクセスし、書名をクリックすると表示されます。


なおこの翻訳書も、いったん廃刊になったものが復刊されたものです。こんな書籍を廃刊にするなんて、殆ど犯罪行為ですね。ある文化レベルを標ぼうする世界で許されることではない。−−−と、勝手に私は思っています。