遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

トルコ地震:救援中死亡の宮崎さん、現地市長が大分訪問

   トルコ地震 その18: 余震、 宮崎淳さんをおくる会
   トルコ地震 その14: 余震発生状況、 現地復興状況
   トルコ地震 その10: 収まらない余震、 再びM5+の地震発生 続報、 ギリシャでの地震



2011年10月23日に発生の トルコ東部地震、Mw7.2 による震災復旧の支援に当たっておられた同年11月9日に 別の地震、Mw5.6 が発生し、滞在先ホテル倒壊により犠牲となられた宮崎淳; Atsushi Miyazaki (トルコ語ウィキペディア) さんに関する話題を紹介;


トルコ地震:救援中死亡の宮崎さん、現地市長が大分訪問
  毎日新聞 2013年03月12日 00時54分(最終更新 03月12日 02時08分)

  11年10月にトルコで起きたマグニチュード7.2の地震の救援活動中、余震のため同年11月に亡くなった大分市出身の宮崎淳(あつし)さん(当時41歳)。その功績をたたえた銅像を制作しているトルコ西部ゾングルダク県コズル市のベクタシュ・アリ市長らが11日、大分市在住の母恵子さん(69)を訪ね、今夏の除幕式への招待状を手渡した。 (以下略、引用終わり)


トルコ地震:宮崎さん、忘れない 救援、余震で死亡 各地の公園・診療所…続々「ミヤザキ」命名、銅像も設置へ
  毎日新聞 2013年02月03日 西部朝刊



前回関連記事以降のニュースは;


Miyazaki’s family arrive in quake town
  VAN - Anatolia News Agency, May/19/2012 @ Hürriyet Daily News


Minister vows legal action for negligence after quake
  ANKARA, February/21/2013 @ Hürriyet Daily News


「宮崎淳さんをおくる会」のご報告
  2011年12月12日、NGO AAR Japan [難民を助ける会]


トルコ:宮崎淳さんの訃報
  2011年11月10日、難民を助ける会

  −−−宮崎さんは、今年 (引用者注:2011年) 6月に当会に応募され、8月から東京本部で研修を開始し、9月1日から正規職員となりました。志望の動機書には、以下のように国際協力、特に緊急支援に対する熱い思いを語っておられました。

  • 東日本大震災の発生により、先進国のみならず、途上国からも支援が寄せられ、如何に世界が共助で成り立っているかを改めて実感させられることとなりました。東北地方を含め、世界で緊急の援助を必要としている人々に対して今の自分に何かできるかを考えたとき、これまで公共団体やNGOで行ってきた組織運営管理や広報・啓発活動の経験ならば活かせるのではないかと思うに至りました。


    私は大学院で紛争解決学を専攻し、かねてより平和構築の分野に関わっていきたいと思ってきました。今回の震災を受け、平和構築の意味を含めて、世界各地でより困難な状況にある人々を支援する活動に対する思いが更に強くなり、そうした活動を行っている貴会において、微力でも貢献したいと思い、志望致しました。 平成23年6月8日 宮崎 淳」 (以下略、引用終わり)


動機書中の 『紛争解決学』 と云う聞き慣れない学問は、英語で云う "Peace and conflict studies" に相当する様です。学問それ自体は多分無力ですが、それを御自分で消化され行動に移されたのは素晴らしいこと。そのフィードバックが得られなくなってしまったことが残念。



−−−
311から丸2年が経過しました。日本もトルコはじめ世界中から支援を受けた筈です。困った時はおたがいさま、それも立派な平和構築の一形態ですね。