遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

トルコ地震 その7: 天災 + 人災 続報6 続く余震 および 共和国宣言 (建国) 88周年


トルコ は去る10月29日(土)に建国88周年を迎えました。ただし今年は東部 ヴァン県 での震災を悼み、予定されていた華美な式典はキャンセルされた模様  Turkey Celebrates 88th Anniversary of Foundation of Republic (右写真の出典)


親日国であるトルコは その歴史 を振り返ると;

現在のトルコ共和国イスラム圏に属するが、その領土となっている地域の悠久の歴史を見ると、古代オリエント文明、古代ギリシアローマ文明、ビザンティン文化、イスラム文化などが栄え、多様である。また、同国最大の都市イスタンブルローマ帝国東ローマ帝国オスマン帝国と3つの世界帝国の首都となった稀有の都市である。さらに近代においてはイスラム圏では世俗主義の近代国家の建設をいち早く行ったことが注目される。



で、上掲記事に名前が出て来る "Great Leader Ataturk" とは、トルコ革命 を率いてオスマン帝国を打倒し、1923年10月29日に共和制を宣言して自らトルコ共和国初代大統領に就任した ムスタファ・ケマル・アタテュルク(Mustafa Kemal Atatürk}、左写真 を指します。彼は政教分離、ローマ字採用、女性参政権など近代化政策をやつぎばやに断行したと云う意味で、近代トルコの父として尊敬されている様です。その名前の一部である "Atatürk (アタテュルク)" は 「トルコの父」 を意味する姓で、1934年国民全員に姓を持つよう義務付けた創姓法が施行された際、大国民議会から贈られたものだそうです。


   トルコの国旗 - Wikipedia
   トルコの国章 - Wikipedia


ここまで、敬意を表した知ったか振りの歴史。日本では想像出来ない程の多様性を抱えた、苦難の歴史を持つ国。




Death Toll from Powerful Quake Increases to 601
  Monday, 31 October 2011, Journal of Turkish Weekly (JTW)


Hopes dim for quake victims as toll mounts
  Sunday, October 30, 2011, VAN - Anatolia News Agency @ Hurriyet Daily News

  −−−the death toll from the devastating earthquake has now risen to 596, the government’s emergency unit said yesterday. Some 188 people have been pulled out alive from the rubble, while more than 4,150 people have been injured, according to officials. (以下略、引用終わり)


トルコ地震の死者約600人に、捜索活動は打ち切り
  ロイター 10月31日(月)8時36分配信


311震災同様行方不明者の発見は別として犠牲者や物的損害は拡がってはいない様ですが、余震がかなり多いのが心配。USGSデータではM4以上のみ拾っているらしく、本震含めて61回が記録されていますが、欧州EMSCサイトに登録されているM2以上の地震数は、発生後182時間で総計 1,122 回 (添付ファイル参照) を数えますから、サイトに掲載されていないM1以下の微動まで含めると相当数の余震が発生している模様;


  トルコ余震.xls 直


  
  左がUSGSベース、右がEMSCベース。


 
 発生後時系列で震源深さをプロットしたもの。最新では7キロあたりで頻発。


暫くWatch要。