遊蕩爺の漂浪メモ

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『まちあるき』  夏シリーズ多分最終: 2011 年終戦記念日 山手線一周、 ナナの命日

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暑い、暑いと思ってましたら、暦の上では初めて秋の気配が現れてくる頃とされる 立秋、2011年は8月8日? も過ぎ、天気予報を見ると8月19日(金)以降気温が下がる様子。カンカン照りかどうかは別として、暑いときのまちあるきもそろそろ最終となりそうなので、終戦記念日に再度山手線一周をしてみることに。終戦の日1945年8月15日の東京の最高気温は32.3℃ (8月15日 / チーム森田の“天気で斬る!”、2009/8/15(土) 午後 1:13 による) だったそうですが 、特別な日であっただけに 「暑い日だった」 ことが多くの人の印象に残っている様です。こんな過ごし方もいいかも知れません;


xxAug11 山手線一周.xls 直
    出来る限り山手線線路の外側を歩くこと、改札口に寄ること。


山手線の路線距離は34.5キロですが、結果今回のまちあるきの全行程は約41キロ。時速5キロとして、迷わなければ正味8時間程度で歩き切れそう。塩分対策としては梅干しがベストのようなので20粒程持参、日射対策は −−− アタマがオーバーヒートしたらどこかで帽子でも買えばいいってことで;


岩手被災者へ梅干し6トン…熱中症予防に
  読売新聞(ヨミドクター) 7月27日(水)13時2分配信


  −−−梅干しには、食中毒予防や食欲促進の効果のほか、熱中症予防に役立つ塩分補給の役割も期待でき、 (以下略、引用終わり)


15日は月曜日ですが、まだ多くの会社がお休みでクルマも少なく、排ガスも少ないことを期待。結果は無事帰宅後、下に掲載予定。スタート地点までは電車で行かなければならないし、前回の寝不足の反省もあり、そろそろ寝ることに。


そうそう、8月15日はナナの命日でもあります−−−

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【2011年8月15日 まちあるき: 山手線一周
  2011年8月16日追加。はてなが非常に不安定で何度も停止してしまうため、少しずつ追加します。


  15Aug11 山手線一周 実績.xls 直
    リンクを貼り直しています。(16Aug11 19:50 頃)


結果として総歩行距離は45キロ、暑さのため平均歩行速度が時速4キロちょいで正味所要時間が11時間弱。スタートが午前9時近かったためゴールが午後9時を過ぎてしまい、少しだけ飲んで帰宅したのは16日零時を回っておりました。今回は相当ハードだったにもかかわらず具合が悪くなることはありませんでしたが、自宅ソファに横になった途端、着衣のまま朝まで目が覚めず。以下、順不同にコメントを;

  • 今回のルールは、 (1) 極力山手線線路に近い道路を歩くこと、 (2) ただし原則山手線の内側には入らないこと、 (3) 駅の何口かは問わないが必ず改札入口まで立ち寄ること、 の3点。これが意外と面倒。
  • 今回はいつものまちあるきと異なり、幹線道路ではなく 「山手線に近い道路を歩く」 ことが目的でしたから、事前に切り出してPDAに保存した地図を頻繁に確認する必要があり、音楽を聴きながら歩く余裕はありませんでした。唯一それが楽しめたのは、スタート間もない代々木〜原宿間の、神宮内苑北・南参道のみ。それ以降は吹き出す汗を拭いながら道を確認し、狭い道ではクルマに気を付け−−− 蛇足ながら、私のイナカ (注:とは云っても札幌市ですが) の街中は基本的に碁盤の目ですから道を間違えても直ぐに元に戻れる・修正出来るのですが、都内はそうは行かない。上京したての学生時代、道に迷って途方に暮れたことが何度あったか。精度の良いGPS位置情報と正確な地図さえあれば問題ありませんが、そこまでデジタルに頼りたくはない。
  • 暑くてアタマがぼぉ〜っとしている時に食べる梅干しは最高! 調子に乗って5 (大) 粒程いっぺんに食べましたら、喉の渇きが。でも水分を採れば採っただけ汗が噴き出しますから、道々採った水分は3リットルに抑えました。トイレには一度も行かず。一周完了後飲んだビールの旨かったこと。

災害は忘れた頃に、人間の都合は一切お構いなしにやって来るでしょうから、快適に歩けるとは限りません。 「有事に備えた歩行訓練」 をやったとしても、体調・健康状態、服装・持ち物、天候、道路の状態、混雑、ルートなどその時が来なければわかりません。今回わかったのは、私が30度を超える気温の下歩ける速度はせいぜい時速3〜4キロ程度と云うこと。でも、涼しくなってから、純粋なリクリエーションとして再度今回と同じルートで歩いてみることに。定番山手線一周


当日の百葉箱内の気温に関する公式の記録は確認していませんが、日の照っている時の暑かったこと。歩くスピードが明らかに落ちるのがわかりました。日差しが弱くなり気温が下がってからは元気を取り戻しましたが、何度途中で止めようと思ったことか。(汗と共に脳みそが溶け出す特異体質なので) でも当日の天気や気温は66年前の終戦の日と同じ様なものだった筈ゆえ、記念に歩き切ろうと思い直して歩き切れた次第。


66年前の当日正午、 「玉音放送」 を聴いた都民・国民が何を感じたかは様々でしょう。戦争が終わったらしいので生きていることに感謝したり戦地の家族の安否を気遣ったり、先ほどまで正しいと教えられていたことが突然崩れて途方に暮れたり、明日からどうなってしまうのか不安になったり−−− いずれにせよひとつの大きな区切りの日であると云う各々の想いに加え、 「とにかく暑い日だった」 と云う共通項が強烈に記憶に残っているのでは。