遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

2010年ノーベル平和賞受賞: 劉暁波 さん vs 中国政府

その経歴・実績からして、今年の平和賞授賞は妥当と思います。昨年があまりにヒドかったですからね。ただ、中国の反応・対応やいかに? には大変興味があります。下掲ウィキペディアの記事中、 『選考の時点で劉が受賞者の候補に挙げられたことに中国政府は不快感を示しており、ノルウェーノーベル賞委員会に対し、「劉暁波に(ノーベル平和賞を)授与すれば中国とノルウェーの関係は悪化するだろう」と圧力をかけていた。』 との記載があります。これは事実でしょうが、有形・無形のその逆の圧力も大きかった筈。私自身どうもスッキリしないところがあるので、以下思いつくまま吐き出すと;


劉暁波 - Wikipedia


Press Release
The Nobel Peace Prize 2010, Oslo, October 8, 2010


劉さんも起草者として名を連ねる 零八憲章 は、確かに非の打ちどころがありません。


でも、例えば アメリカ合衆国憲法 だって、 フランス共和国憲法 だって、 人間と市民の権利の宣言 だって、世界人権宣言 だって皆同じ様に素晴らしい。零八憲章はそれらに勝るとも劣らないでしょう。(私はいずれも良く読んでませんけど)


では何がひっかかるのか? ひとことで云うなら、中国の様な、アメリカ様やおフランスとは全く体制が異なる国でもそれが 「全て正しい」 のかと云う点。言い換えれば、世界は米欧をお手本として均質化すべきなのか? 独自の途を模索する自由は無いのか? それを妨げる権利はあるのか?


今回の平和賞授賞に関し、反中あるいは嫌中のメディアは基本的に 「ざまあみろ」 的な論調で中国政府を批判するでしょう。対する中国政府は黙殺するか、 『賞の趣旨に反し、平和賞を侮辱するものだ』 と反論している様です。


中華人民共和国 - Wikipedia など観ると問題点は山の様に挙げられていますが、でも一歩引いて考えてみれば、どの問題点も、我々の体制下でも起こっていませんか?人権については言うまでも無く、汚職言論の自由弾圧、ネット検閲−−−。


少しだけ採り上げましょうか、例えば上掲ウィキペディアに 『中華人民共和国政府は検閲での情報操作(香港・マカオは除く)を行っている。政府に対してマイナスと認識した報道を規制している。』 との記述があります。これは、世界最大の自由の国、我が宗主国アメリカ様だって、芸術レベルで巧妙に行っています。特に9−11以降は、 『テロとの戦い』 が殺し文句となっていますよね。トリコロール *1 :自由、平等、友愛: の国おフランスはどうですか? EU内で非難ごうごうの人種差別・迫害を公然と行っています。(猿居士だけかな?) 植民地ではあるけれど日本の場合だって、山崎淑子さんのケース (山崎淑子さんのこと: 冤罪、不平等条約、国民不在のアメリカの司法 - 翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記 参照) をご覧なさい。


中国の場合、これはキューバベネズエラもそうかも知れませんが、共産党一党独裁の弊害が大きいのでしょう (アメリカは二党交互独裁ですが)。これは主義主張の部分とは関係無く改善可能な領域のハズ。 自国の体制・制度上その考え方に制限せざるを得ない部分があるだけで政治犯として投獄するのは時代遅れ。迫害されれば余計に燃えます。非常に乱暴な言い方をするならば、交渉の上ある程度自由に泳がせて、制限すべき部分は制限するのがスマートなやり方でしょう。こんな体制はイヤだ、力づくで引っくり返そうなどと云う行為は、どの国でも法で制限されています。アメリカ様などその意味で最高の手本、自由だの権利だのを享受しているとの誤解による 「花」 を持たせておいて、 「実(み)」 はごく一部の権力者で独占。本質的に中国とたいして変わらない国です。どうしても体制と活動の折り合いが付けられなければ、国外追放と云うテがありますね。最近の実例で云うなら、 「米欧と価値観を共有出来る中東唯一の民主主義国家」 たるイスラエル;自国民の追放ではありませんが、 ノーベル平和賞受賞者、イスラエルが退去処分 、ね? あるいは 『亡命』 と云う形でなら、 李洪志 さんの実績があります。いずれにせよアメリカ様の不当な圧力を蹴飛ばせるノウハウは持っているでしょうから、大丈夫。と云うより、さすがにこれだけ注目されればお互いに歩み寄りを検討せざるを得ないでしょう。


−−−英米の唱える 『人権』 の胡散臭さ・インチキさは、世界中で検証可。素晴らしい文章をこさえて自己満足に浸っているだけ。言っていることと実際にヤっていることがあまりにかけ離れている、と感じています。中国政府批判は結構だけれど、その前に自分・自国のことをまず考えるべきでは? 現実と理想の乖離の解消、ですかね。


更には、言っていること (理想) そのものも妥当性を欠いていないか? 例えば我がオバマ将軍様が正に昨年 「有り得ない」 ノーベル平和賞を受賞した際のスピーチの中に;

人権は西洋の原理だとか、地域の文化に合わないとか、国家の発展の一段階にあるので守れないなどと間違った考えで言い訳する国もある。米国では長い間、自らを現実主義者と称する人と、理想主義者と称する人の間で緊張関係が続いてきた。狭量な利益の追求か、自らの価値観を押しつける果てしない運動か、明確な選択をするよう提案してきた。


 私は、こうした選択を拒む。市民が自由に話したり、好きなように礼拝したり、指導者を選んだり、何の恐れもなく集会を開いたりする権利を否定されるところでは、安定した平和は得られないと信じる。不平がたまって膿(うみ)になり、部族や宗教のアイデンティティーに対する抑圧は、暴力につながり得る。われわれは、その反対も真実だと知っている。欧州が自由になった時、やっと平和が訪れた。米国は民主主義に対する戦争はしていない。われわれの最大の親友は、市民の権利を守る政府だ。どんなに冷ややかな見方をしても、人類の思いを否定することは、米国の利益にも、世界の利益にもならない。


【資料】オバマ米大統領ノーベル平和賞受賞演説の全文(日本語訳) / 47NEWS(よんななニュース) より抜粋)


For some countries, the failure to uphold human rights is excused by the false suggestion that these are somehow Western principles, foreign to local cultures or stages of a nation's development. And within America, there has long been a tension between those who describe themselves as realists or idealists -- a tension that suggests a stark choice between the narrow pursuit of interests or an endless campaign to impose our values around the world.


I reject these choices. I believe that peace is unstable where citizens are denied the right to speak freely or worship as they please; choose their own leaders or assemble without fear. Pent-up grievances fester, and the suppression of tribal and religious identity can lead to violence. We also know that the opposite is true. Only when Europe became free did it finally find peace. America has never fought a war against a democracy, and our closest friends are governments that protect the rights of their citizens. No matter how callously defined, neither America's interests -- nor the world's -- are served by the denial of human aspirations.


【英語資料】オバマ米大統領ノーベル平和賞受賞演説の全文(英語) / 47NEWS(よんななニュース) より抜粋)


この演説そのものが、戦争を正当化する、熟成させ過ぎて腐った手前味噌の感がありますが、この部分、本当に正しいか? 我々が当然のこととして盲信する米英発のこのテの発言には、ひとつ重大な欠点があると考えます。皆が同じスタートラインに立って用意ドン! で走り出すならこれは正しいかも知れない。しかし実際には、スタートが大幅に遅れている、あるいは走るルートが異なる国や地域があることを一切考慮していない。スタートの遅れは、米英の繁栄のために犠牲になったことを指します。スタートラインがはるか後方にあるだけでは無い、走るコースが破壊し尽くされているため回り道せざるを得ない、と云うこともある。言い換えれば、リングの上では正々堂々と殴り合っている様に見えるかもしれないが、相手はリングに上がる前に家を破壊され、家族を殺され、暴行を受け、進路を邪魔された状態でようやく到着してリングに上がっていても、リングの上しか見ないのか? これは人権だけではない、経済活動にも当てはまりますが。うんざりです。


とりとめなくなってきましたが、劉暁波さんは暴力に頼らない、行動派の、心底尊敬出来る活動家です。受賞についてもこころよりお祝い申し上げるし、投獄されているなら難しいのだろうけれど授賞式に出席してもらいたいし記念スピーチも聞いてみたい。中国がその身柄を拘束していることには賛同致しかねる。でもしっくり来ないのは、周りの反応と対応です。旧態依然たるものはぶっ壊して新しい世界を! と云う 「ポジティブな」 姿勢は皆評価します。でも、いつの時代の常でもありますが、ポジティブと思っている自分が既に 「旧態依然」 そのものであることには気付かない。特に 『勝ち組』 はね。


※いったん記事をアップ後、細かい手直しをしています。 08Oct10 23:30 記

.

*1:蛇足ですが、以前 「ウンコロール」 さんと云うニックネームの方を存じ上げていました。音の切り方を間違えないでくださいよ、一色 (un color) さんと云う苗字の方ですからーーー