遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

閑話 (むだばなし) : 動物との関わり

少し息抜きのハナシを。私は 「ペット=愛玩用の動物 (大辞泉によると、年下の愛人の意味もあるみたい。いずれにせよ縁が無いので関係ありませんが)」 と云うコトバも、従って 「飼う・飼育する」 と云うコトバもあまり好きではなく、生活を共にする動物の場合はむしろパートナーと呼びます。実際、パートナーによっては子ども一人いるのと大して変わらないし。自分が責任を持って育てたかどうかは別として今まで生活を共にした、ホモ・サピエンスを除く主なパートナーは、犬・シマリス・エゾモモンガ・猫・モルモット。


ネットの世界では、いわゆる動物の癒し系の動画が数多く公開されています。例えば最近の犬の例では;



Title: Ava and Her Buddy
幼児に何をされてもシッポをふる犬|動画|Yahoo!映像トピックス にて紹介


犬だって人間同様に個体差 ーーーと言ってはいけませんね、個性がありますし、体格も違いますから全ての犬がこれだけおおらかであることを期待するのは間違いですが、私の場合、産まれた時生活を共にしていた雌のアイヌ犬 (親父が趣味でやっていた狩猟用に訓練された犬) は、室内犬ではなかったがこの犬に非常に近かった様です。柴犬と同じ大きさですが、私が背中に乗ろうがシッポを引っ張ろうが引っ叩こうが決して怒らなかったらしい。


そのせいもあってか近所の犬にも可愛がってもらい、私 (就学前ですよ、当然) が隣の犬と遊び疲れて犬小屋で寝ている間に、近所で私が行方不明となったと大騒ぎになったことが語り草となっていました。(隣のおじさんが、いつもなら犬小屋に入っている筈の犬が困った様な顔でうろうろしていたので発見された。)犬と共に育った様なものですから、今でもどんな犬でも無条件に好きですし、犬もそれがわかるみたい。


小学校3年まで北海道の山の中でのびのび育てられましたから、犬に限らず生き物全般が大好き。子供の頃は、パートナーの死に繰り返し接しなければならないのが辛かったのを憶えています。皆タオルにくるんで泣きながら庭に埋めましたっけ。親がそれを意識していたかどうかはわかりませんが、結果としては最高の情操教育であったのかも知れません。上掲ビデオの子どもも、この犬のことは生涯忘れられないでしょう。まだ小さいから意識の上からは忘れ去られたとしても、潜在意識の中にはくっきり刻み込まれている筈ですから、色々な場面でその影響が現れる筈です。


猫は学生時代、大家さんの飼い猫が自由に部屋に出入りするのを条件に破格の値段で下宿をさせて頂いたので、2年程 「同居」 しました。部屋の入り口の下隅に切り欠きがあって、文字通り出入り自由。朝、枕の上で丸くなる猫と共に目覚める経験もしましたね。犬とは随分異なりますが、楽しい想い出です。蛇足ながら、私は昔 「犬型」 の性格だ、と言われたことがあります。このxx型と云う分類は血液型同様に私は参考程度にしか認めていませんが、試しに 『猫型人間の説明書』 なる本で現在の自分を 「診断」 してみましたら、8割程度当てはまりましたね。どんなものでしょうか。


いままで生活を共にして一番不思議なパートナーであったのはモルモット。本来天敵である筈ですがよい友達であった老犬の後を追うように亡くなって自宅でお通夜をした時に家族と話しましたが、一言で言えば 「安らぎを与えてくれた」 パートナーだった、と云う点で一致。手間のかかるお嬢さんでしたが、どんなに疲れていてもどんなに気持ちが荒れていても、部屋の中をちょこまかと動き回る、あるいは好物の野菜を入れた冷蔵庫を開ける音だけで大騒ぎするのを見ていると、気持ちがすぅ〜っと静まりました。あんなに可愛い生き物だとは知らなかった。


−−− そんな接し方をして来ましたから、「ペット」 を捨てるだの虐待するだの、とても信じられない --- と云うより許せない。生き物はたとえネットで 「購入」 出来る 「商品」 であっても、 「動くぬいぐるみ」 ではない。虐待されて施設に保護された犬が、虐待を加えた 「飼い主」 に再会して尻尾を振って嬉しそうに駆け寄るシーンをTVで見たことがあります。私はこの犬の気持ちがわかりますが、裏切った 「飼い主」 は何とも思わないのかな?


(8月4日加筆訂正しました。)