遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

翻訳家 山岡朋子さん その74  『ルス、闇を照らす者』 :  アルゼンチン 過去の清算は終わらない その6

最近の記事に基づいて2〜3回に分けて紹介するつもりが6回となりました。今回の最終第6回では、山岡朋子さん (横山朋子さん名) 翻訳の 『ルス、闇を照らす者』 に描かれた、 「生みの親を闇に葬られた子どもたち」 の実例を紹介;

PRENSA / Abuelas

これはおばあちゃんサイト? 中の報道記事一覧。例えば−−−

Testimonios Nietos / Abuelas

これもおばあちゃんサイトの中の1ページですが、行方の判明した 「孫」 たちの例、孫を探している 「おばあちゃん」 たちの例が挙げられています。前者の目次冒頭には次の様なコメントが記されています;

"Todos los casos de Abuelas son distintos pero, y en esto coinciden los nietos, la verdad siempre es liberadora. Ellos mismos cuentan sus vivencias."


孫とおばあちゃんの例をひとつづつ;

  • "El alivio fue enterarme que no había sido un abandono"
    Victoria Ruiz Dameri


    この方は軍関係者に養子として引き取られたのではなく、3歳の時に児童病院の入口にメモと共に置き去りにされ、通常の? 養子として育てられたケース。


行方不明となった、あるいは産みの親を闇に葬られた子どもたちは計500人といわれています。うち100名については生死は別として経緯が判明、残り400名は今日現在調査中。養子縁組を前提に考えると、その400人のひとりひとりに養父母・産みの母方の親族・父方の親族が関係します。

Niños Desaparecidos, Jóvenes Localizados 1975 - 2009
おばあちゃんサイト中、◆両親と共に行方不明となっている子ども ◆母親が拉致されている間に産まれた子ども ◆両親と共に殺害されたことが確認された子ども ◆見つかった子ども 別のリスト。(人数は数えておりません。また、「五月広場の母親たち」 との棲み分け? について不勉強ゆえ、別途紹介予定)


おばあちゃんサイトに掲載されている幾つかの実例を見ていると、多かれ少なかれ、真実が明らかになることで養父母への愛情と加害行為への憎しみ (加害行為が立証あるいは告白されれば後者が勝るでしょうが、それでも前者がゼロになるとは限らない) の板挟み、あるいは養父母への愛情と実の親の親族への想いの板挟みとなって苦しまれる様です。知らない方がよい真実もある、と云う考えにも一理はあると思いますが、このアルゼンチンの特殊なケース *1 で 「救われる」 のは産みの親を直接・間接に抹殺した養父母だけであり、真実を知らない本人は本当に救われたのか疑問であるし、産みの親の親族は苦しみ続けることになります。従い、一時的には本人を苦しめるであろう真実の追及を 「個人の権利/プライバシー」 に優先させるのは妥当なことと思います。DNA鑑定の強制はそのひとつでしょう。


現クリスティーナ・フェルナンデス大統領はこの調査に非常に協力的である様ですが、心配なのは 「おばあちゃんたち」 の高齢化と、政権交代によって調査が困難になる ( 「愚鈍なメネム大統領」 が強行した様な恩赦やら免責やら法の改正など) リスクです。高齢化に関しては、後継者はいないのだろうか?

El vacío de los ausentes
Malén Aznárez 13/01/2008, ELPAÍS.com


この少し旧い記事は、アルゼンチンの エントレ・リオス州 - Wikipedia での行方不明者を扱った、自身の家族にも行方不明者を持つ写真家 Gustavo Germano さんの写真集についての記事。是非観てみたいのですが、出版部数が限られていたためか既に絶版の様子;


ただ幸いなことに、写真家本人のHPやブログが開設されています。参考まで紹介;


単に過ぎ去った忘れたい過去を風化させてはならない、と云った精神論ではありません。苦痛と共に掘り起こした過去が自国の現在を評価し未来を考える際の鏡となること、その過程で蓄積された仕組みやノウハウなどは他国での調査に適用出来る、従ってアルゼンチンのみならず世界共通の無形資産となり得ることを改めて認識すべきと思います。


核兵器保有による 「抑止力」 および 「核兵器ほど非人道的ではない通常兵器」 と云う詭弁と偽りの正義をふりかざして覇権の維持にしがみつくどこぞの 「愚鈍な」 大統領に与えられるノー●ル平和賞など、創始者の精神が完全に忘れられているとしか思えない。【ノーモア (スペイン語では NUNCA MAS) ヒロシマナガサキ】 が 「国際社会」 で 鼻先でせせら笑われる現状の責任は、我々自身にありますね?それを 「愚鈍な」 政治家に責任転嫁することは、議会制民主主義を標榜する国では有権者に許された行為ではありません。原爆投下後、65年の長きに渡ってその様な代表者を議会に送り込んで来た張本人ですから。


おばあちゃんたちも加害者も、また被爆者も高齢化が進んでいます。活動がそれと共に先細ることは避けなければなりません。地味ではあるが現場で苦労している人達にもっと注目して資源を割り振るべきです。勿論前者はアルゼンチン国民の、後者は私を含めた日本国民の義務ですが、ここでは 「翻訳」 を通じて前者を日本でアピールしている、と云うこと。その数少ない文献のひとつが、フィクションの形を採ってはいるが史実に基づき、複雑な全体像をコンパクトに展開して読ませる 『ルス、闇を照らす者』 とおもいます。この書籍に限らず絶版にさせてはならないものは数多くありますが、利益最優先の現在のギョーカイと流通の仕組みでは対応が難しいでしょうね。新しい動きもありますから、そちらの可能性も探っているところ。


こうしてぐずぐずしている間にも、コロンビアやメキシコ、イラクアフガニスタン、ガザやアフリカなどで 「正義の」 戦争・紛争での犠牲が増え続けています。どうやって止めましょうか? 「国際社会」 でそれを主張出来る代表者は日本にいない、と思いたくはありませんが−−−


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*1:注:行方不明者の子どもを養子に出来たのは軍関係者や軍に影響力のあった人間だけであり、全く何も知らずに養子縁組を行うことは有り得なかった、と云う前提。