遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

翻訳家 山岡朋子さん その68  『ルス、闇を照らす者』 :  ブラジルのケース

南米の巨人ブラジルの第35代大統領であり、特に南米では (某国の新大統領と違って) 名実ともに名大統領の誉れの高い ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ Luiz Inácio "Lula" da Silva (ウィキペディア) (以下親しみと尊敬を込めてルラ大統領 *1 と記します) が、人権に関する幾つかの国家プロジェクトのひとつとして、最後の (3度目の最後、後述) 独裁時代に行われた人権侵害の調査委員会の設置を発表しました。ブラジルはポルトガル語ですが私は明るくないので、スペイン語の記事を利用します;

http://www.elpais.com/articulo/internacional/Lula/lanza/Comision/Verdad/esclarecer/crimenes/dictadura/elpepuintlat/20091221elpepuint_11/Tes
Lula lanza una Comisión de la Verdad para esclarecer los crímenes de la dictadura
EFE - Brasilia - 21/12/2009, ELPAIS.com (スペイン紙)


El presidente brasileño quiere que se sepa qué pasó con unos 200 desaparecidos y los miles de torturados por causas políticas durante el régimen militar que gobernó entre 1964 y 1985 (以下略)


問題となる 「独裁時代」 について;

  • ブラジル (ウィキペディア) より抜粋


    軍事独裁政権時代


    1964年にクーデターを起こしたカステロ・ブランコ将軍は軍事独裁体制を確立し、親米反共政策と、外国資本の導入を柱にした工業化政策が推進された。この時期に「ブラジルの奇跡」と呼ばれたほどの高度経済成長が実現したが、1973年のオイルショック後に経済成長は失速し、さらに所得格差の増大により犯罪発生率が飛躍的に上昇した。また、軍事政権による人権侵害も大きな問題となった。この間、各地でカルロス・マリゲーラの民族解放行動(ALN)など都市ゲリラが武装闘争を展開し、外国大使の誘拐やハイジャックが複数にわたって発生した。


    1974年に大統領に就任したエルネスト・ガイゼル将軍は国民的な不満を受けて軍政の路線転換を行い、1979年に大統領に就任したジョン・バチスタ・フィゲイレードは民政移管を公約した。1985年に行われた大統領選挙ではタンクレード・ネーヴェスが勝利した。 (以下略)

−−−1822年9月22日、ブラジルはポルトガルからの独立を宣言し、立憲君主制を取るブラジル帝国となった。ポルトガル王室に連なるこの国家は、軍事クーデターにより1889年共和制に移行した。以後ブラジルは現在に至るまで法律上は民主主義国家であるが、三度にわたる独裁政治政権を経験している。 (以下略)


この三度の独裁政治政権とは;

  1. 1930−1934:ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス (ウィキペディア) 時代
    軍事クーデタにより政権を掌握


  2. 1937−1945:ヴァルガス時代その2
    1934年に議会から認められて正式に大統領の座についたが、1937年大統領選挙を目前に再び軍事行動によって選挙を中止させ議会を解散。イタリア・ファシズムベニート・ムッソリーニ)に強く影響を受けたブラジルにおける「エスタード・ノーヴォ」(新国家)体制が成立。


  3. 1964−1985:軍事独裁政権時代
    • 64−67: カステロ・ブランコ将軍
    • 67−69: コスタ・エ・シルヴァ将軍(69年急死)
    • 69−74: エミリオ・ガラスタズ・メディシ将軍
    • 74−79: エルネスト・ガイゼル将軍
    • 79−85: ジョアン・バチスタ・フィゲイレード退役大将


山岡朋子 (横山朋子さん名) さん翻訳の 『ルス、闇を照らす者』 の舞台となったアルゼンチンでの 汚い戦争 (ウィキペディア) の時期は、一般的にはビデラ政権がアルゼンチン国民に対して弾圧行為を行った1976年〜1983年ですが、1975年にイサベル・ペロンによって布告された 「絶滅命令 (左派の壊滅を目論んだ)」 をこの汚い戦争の起源とするなら8年間ですから、ブラジルの (軍事) 独裁の方がはるかに長いことになります。ただし上掲の如く、「−−−1974年に大統領に就任したエルネスト・ガイゼル将軍は国民的な不満を受けて軍政の路線転換を行い、1979年に大統領に就任したジョン・バチスタ・フィゲイレードは民政移管を公約して1985年に民政移管実行」 していますから、焦点は64年〜74年の3将軍・10年間かも知れません。 (注:私の勝手な想像に過ぎません)


冒頭紹介の記事によると、1979年に発効し、独裁の反対勢力のみならず拷問を命じた者まで対象とされる恩赦法 "Ley de Amnistía" (詳細は未調査) の見直しも含まれている様子。ルラ大統領は軍人を罰することが重要なのではないことを強調しているとのこと。ルラ大統領の言葉として紹介されているのは;『自分の子どもを埋葬する母親の苦しみは決して消えるものではない。その子が生きたことの価値を認識するのが最も大切である』 蛇足ですが、この様な場合父親はおよびでなく、必ず母親です。


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*1:ウィキペディア中 「名前の由来」 によると; 1982年までは、生誕時の名前であるルイス・イナシオ・ダ・シルヴァ(Luiz Inácio da Silva)と名乗っていた。「ルーラ(ルラ)」(Lula)とは、自らの名前の「ルイス」(Luiz)をもじった幼少期からのあだ名であり、1982年にサンパウロ州知事選に立候補するにあたって、広く知られた通称である「ルーラ」を加えてルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァと改名した。(引用終わり)