遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

懲りない欧米: ミャンマーの件

原爆記念日終戦記念日の一連の記事を書きながら横目で見ていて気になったのが、ミャンマーでのごたごた:

  • 「判決に深刻な懸念」ミャンマー問題で安保理が報道機関向け声明 から抜粋
    http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/worldnews/289670/
    配信元:産経新聞 2009/08/14 09:06更新


    安保理議長国の英国など欧米のメンバーは当初、判決を非難する議長声明の発出をめざしていたが、「今回の問題は一つの国の中の司法問題で、安保理の関与は内政干渉にあたる恐れがある」と中国などが難色を示し、最終的に「非難」の文言が入らない報道機関向け声明という形で決着。ミャンマー問題で、統一した国際世論を打ち出していく難しさを改めて印象づけた。


世界中でかなり残忍な植民地支配を繰り広げた欧米先進国にどんな資格があってのことでしょう? 反省も補償も無いから懲りないのでしょうかね。


アウンサンスーチー さんは、イギリスからの独立を主導したが1947年7月に暗殺された 「ビルマ建国の父」 として今も敬愛を集めている アウン・サン将軍 の娘。スーチーさんは1991年にノーベル平和賞を受賞していますが、彼女が受賞に至るまでの経歴は、ウィキペディアによると−−−

1945年     誕生
62年−63年   インド デリー大学で学ぶ
64年−67年   英国 オックスフォード大学で学ぶ
69年−71年   米国 ニューヨークの国連勤務
85年−86年   日本 京都大学にて研究活動
88年4月     病気の母を看護するためにビルマに戻る
88年8月     シュエダゴン・パゴダ前集会で50万人に向け演説
??        国民民主連盟(NLD)の結党に参加
89年7月     軍事政権により自宅軟禁


軍事政権は1990年5月27日に総選挙を行い、アウンサンスーチーの率いる国民民主連盟が大勝した。しかし軍政側は権力の移譲を拒否した。激しい国際的な非難を招き、アウンサンスーチーは91年にノーベル平和賞を受賞した。賞金の130万ドルはビルマ国民の健康と教育のための基金の設立に使われた。

スーチーさんがビルマミャンマー)で政治活動を行ったのは88年からであり、それもお母様の看病で戻っている時にアウンサン将軍の娘が戻っているぞ、と云うことで引っ張り出されたのがきっかけと聞き及んでいます。親の七光り、なんて失礼なことを言うつもりはなく、民主化運動のシンボルであることも大変結構ですが、ノーベル平和賞受賞に値するだけの活動実績があるのか、どうも理解出来ません。英米で教育を受けたエリートであることは確かですが、ミャンマー国内で本当に国民に支持されているのか?もよくわかりません。90年総選挙後の軍政による政権移譲拒否の非難の一環として与えられた、極めて政治的なノーベル賞と考えざるを得ません。


なおここで出典が示せないのですが、以前(数年前)この問題を調べていた際、アジアのさる国家元首がスーチーさんについて訊ねられた際、 「アメリカの傀儡に過ぎない」 と一蹴したと云う記事を読んだ覚えがあります。


英米メディアとそれに盲従する (=ミャンマー訪問して、自分の目や耳や足で取材することをしない *1) 日本の大手マスコミの報道を見ていると軍政が一方的に悪者になっていますが、本当にそうなのか? 90年、世界中から非難を浴びることは百も承知していた軍政が、何故総選挙で圧勝した国民民主連盟への政権移譲を拒否したのか? そのあたりにカラクリがありそうですね。選挙に当たって欧米企業や政府から莫大な資金援助を受けた、欧米にとって好都合な 『民主化』 を支援するグループやら情報操作の専門家が送り込まれていたことは想像に難くないのですが。そんな選挙、本来は無効ではありませんか?


軍政による殺りく行為やら国際法に違反する行為があるなら介入せざるを得ないのでしょうが、内政干渉は大きなお世話。見極めは難しいでしょうが。

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*1:なお2007年に某通信社の契約ビデオジャーナリストであった長井健司さんが抗議デモの鎮圧を撮影中に射殺される事件がありました。これは、6月20日イランで射殺されたネダ・アグハ・ソルタンさんのケースと非常によく似ていると思います。