遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

土井敏邦監督製作ドキュメンタリー映画  『沈黙を破る』 を観ましたが−−− その1

5月24日 【オバマ新大統領発表の アフガン政策新包括戦略 Watch: その4 + パレスチナのこと】 で紹介の映画を6月1日ようやく観ることが出来ましたので、感じたところを書いてみます。なお4部作の 「届かぬ声―パレスチナの占領と民衆―」 の前3作については、時間の都合がどうやってもつけられず、観ることができなくて残念。


  • 映像に関しては、もっと生々しいものを変に見慣れたせいか特段の感銘は無し。ただし映画館ならではの大画面・大音響のおかげで、銃撃・爆撃・人の叫び/嘆きなど、臨場感の再現と云う意味では圧倒されましたね。私は映画を観ている間はその中のどこかに自分を置くようにしていますが、観終えたら、多分殺されずに帰宅出来る程度に平和な生活に戻るだけ。でも映画とは云ってもこれはドキュメンタリーですから、実際に現場では緊張が続き、人が辱められ殺され続けていることが俄かには実感できません。でも事実なんですね。
  • 占領下にあり不自由な生活を強いられ、かつそれ以上にいのちの危険にさらされ続けるパレスチナ人たちは間違いなく被害者です。従い占領 --- 実質侵略戦争ですが --- する加害側にいた(元)イスラエル兵士が声を上げて自国の過ちを指摘するのは歓迎すべきことです。兵役に就くまで教わってきたこと・常識と思っていたことが全く通じない世界。兵士の義務は、世界中どこでも、上官の命令に従って任務を遂行することであり、考えることは許されませんね。そんなことをしていたのでは戦死してしまうか、発狂してしまう。何か間違っていないか?と当初は思ってもそのうち感覚が麻痺してしまう。これは多分人間の自己防衛本能ですから、元に戻れない世界がそこにはあります。「道徳的な軍隊」 だの 「正義のための戦争」 なんて矛盾したものはあり得ない、と云う感を新たにした次第。

      イスラエルがこんなことを続けていると、早晩アメリカのユダヤからもそっぽを向かれるでしょうね。ホロコーストの被害者であることは、今パレスチナに行っている蛮行の免罪符にはなり得ませんから。ヒロシマナガサキでの 『人類に対する重大な犯罪行為』 の被害が、他国での加害行為の免罪符にはならないのと同じ。『沈黙を破る』 ひと達がいない分、日本の置かれた状況の方が実は深刻かも。
  • 兵士の親たちは、息子が経験したことを知ることはできても、どうしても理解出来ない、あるいはしたくない。軍の上層部は、実際に現場で起こっていること、即ち自分たちの命令の結果は百も承知で嘘をつける。麻痺し続けている人種ですからね。現場を観ようともしない政治家は --- パレスチナ人=テロリスト、の一点張り。テロに怯えるイスラエルの子どもが可哀そうだとは思わないのか? と言うが、その逆のことは考えない。ひとのはなしを一切聞かない。このタイプは、どの世界にあっても最悪。(たとえ女性であっても)
  • 『沈黙を破る』 プロジェクトの主宰者 (だったと記憶しますが) も、自分のいのちと引き換えにすることをためらわないほど大切な娘さんを、自爆攻撃で失われたとのこと。でも状況は違っても、はるかに多くのパレスチナの親たちが子どもを亡くしている事実もあります。どちらの側にいようが、親族、特に子どもを失う悲しみ・痛みは想像を絶するものがある筈です。一生自分を責め続けるのは地獄でしょう。もし自分に起こったら、と考えると、パニックになります。復讐は何の解決にもならない、亡くなった方は帰って来ないし天国で喜ばない、なんて言えるのは他人事だから。人間の進化なんて、思っているほど早くは無い。『目には目を』 って、意外と理にかなっているのでは、と思いたくなります。

      この観点から、本当は特に 【第3部 『2つの“平和”―自爆と対話―』】 が観たかったのですが、上映日時の設定が私の様な勤め人にはザンコクですがな。スケジュール見間違えたかな?

      映画の中では戦車やら戦闘ヘリ 「アパッチ」 が活躍していました。馬鹿な親からプレゼントされたこの高いおもちゃを馬鹿息子がふんだんに無差別に使うのは許されるが、自爆はテロだ、ヒキョーだ、と云うリクツはどう考えても理解不能。9−11で立証された様に、あれが本当に飛行機で意思を持って突っ込んだとするならば、この世で最も強力な兵器は人間自身です。パレスチナ人は高いおもちゃが買えないから体当たりするしかない。失うものが何も無いところまで追い詰められてこの様な行動に出ることを、私は肯定はもちろんしませんが、でも非難も出来ません。特攻隊員を責めることが出来ないのと同じ。それをそそのかす輩は別ですが。

−−− で、登場人物の幾つかのコメントに共感しながら映画を観終えましたが、その後に残ったのはなんとも言えない無力感と怒りです;


この映画に描かれていることは、事情や場所や規模は違っても、過去にだって何度も描かれていますよね。二次大戦しかり、ベトナムしかり、イラクしかり、アフガニスタンしかり。 『沈黙を破る』 はその中のひとつに過ぎません。では何のためにこれをイスラエルの外で公表するのか? ジャーナリストの売名行為? 「だから何なの?」 と言われたらどう答えるの?


そのあたりについては、先日紹介の土井監督のWebコラムにヒントがありそうです。じっくり読んで更にコメントしてみたいですね。