遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

翻訳家 山岡朋子さん その41: 文と書き手の関係 その2 − 勝田保世さんのこと

文は人なり』 を越えて、文章を読んで惚れ込んだ書き手のお二人; 勝田保世さんおよび翻訳・エッセイなど物書きとしての山岡朋子(横山朋子)さん ; とも、お会いしたことがありません。


今回は、その生き方にあこがれ真似をしようとおもうほどに 「惚れ込んだ」 勝田保世さんへの想いを綴ってみたく。勝田さん (の文章) との出会いが無かったらフラメンコの深淵に沈むことは無く、今の私も無かった筈です。


高校生の頃からフラメンコの唄のレコードを集め始めましたが、ジャケットの解説と、レコードに同封された歌詞カードをむさぼり読んだことは、まるで昨日のことの様に覚えています。それまで全く知らなかった世界。レコード以外では音楽雑誌、特に 『中南米音楽 (確か現在の名前は ラティーナ) 』 も購読しておりましたね。覚えている限り、フラメンコに関しては勝田保世さん以外でも濱田滋郎さん(ひろすけ童話で有名な浜田廣介さんの息子さん)・高場将美さん・中村とうようさん・小倉俊さん・蘆原英了さん・小泉文夫さん・永田文夫さん(確かこの永田さんだったと思う)など、今考えると錚々たる方々の文章に触れた訳ですが、何故か勝田保世さんの文章に特別なものを感じておりました。雑誌などに勝田さんの寄稿があると本当に嬉しかった。


大して買いもしないのに入り浸っていたレコード店 『ディスコ・マニア』 のおばちゃん永田さんからもよく勝田さんのことは聞いておりました。晩年の勝田さんと親しかった女性の方のお話しもこの永田さん経由で伺ったことがあります。 「貴女は、初めてボクのフラメンコの唄を聞かせた時に笑ったね」 ってなことをちくちくと言われていたとか。(この女性の方は多分私より10歳程度上、何かのサイトに勝田さんのことを書いておられた、という話しを聞いたことがあります。勝田さんの言葉として私は聞きましたが、万が一間違っていたらご免なさい。)


当時は私も相当若かったものだから、全く人の迷惑は省みずディスコ・マニアの永田さんに、是非勝田さんに紹介して欲しい、ねぇ、何とか、とおねだりした結果、それじゃあどこかタブラオ (フラメンコショウのあるレストラン) でお会いしましょうか、と云うところまでこぎ着けて頂いた矢先、訃報に接しました。亡くなられたのは1978年5月3日でした−−−


それから間もなく11月、勝田さんが生前 『中南米音楽』 に寄稿された文章を集めた本が出版されました;


株式会社 音楽之友社 1978年11月20日初版 「砂上のいのち  フラメンコと闘牛」
前回の記事の脚注にて引用した本です。


この本は、昔も今も、私にとっての宝です。まだ中古市場で流通している様ですが、「ルス」 と同様、いつか自腹切ってでも復刊させたい本のひとつ。


この本のあとがき 「勝田保世のこと」 は元読売新聞論説委員・評論家の山崎功さんが書かれていますが、そこで初めて勝田保世さんと云う人物のことを知りました。山崎さんと云うフィルターは通っていますが、全く違和感がなかった−−−私が思い描いていた通りの人物であったからです。人から聞いた話も勿論影響しているでしょうが、それより文章から感じていたものの総体が一致した訳で。何故勝田保世さんの文章に特別なものを感じていたのか、ようやくわかった。


記事本体もあとがきも、今まで何度も何度も読み返しました。もうお会い出来ない訳ですが、それでもどんどん惹かれて行きます。「文は人なり」、その通りです。山崎さんのあとがき (上述の書籍271ページ〜275ページ) より一部抜粋しますね;

  • 勝田保世(忠次郎)は、わたくしの知るかぎり、この錯雑して汚濁に満ちた社会を、それと少しのかかりあいもなく、−−−というよりも、ほとんど気にせぬ無関心さをもって、平穏というか、無頓着というか、じぶんの欲するところにしたがって、自由に、気楽に、生きぬいてきためずらしい存在であった。
  • 明治・大正の芸術家、とくに画家がそうであったが、このような生きかたをした人が多い。かれは最後の一人であったかもしれない。
  • かれはスペインではじめて自己をみいだしたといえる。フラメンコである。しかし、そのまえに、セビリアで闘牛にとりつかれた。からはさる闘牛師のもとへ弟子入りした。そのときつけてもらった名が Jose' であり、それがのちにかれのペンネーム ”保世” となった。闘牛はおもしろくあっても、運動したことのないかれにとっては、動きまわるのが苦手であり、これはかなり早くやめにしてしまったらしい。
  • いま遺稿が一巻にまとめられてみると、これがわれわれにとって唯一の救いであり、慰めとなった感がする。そこにかれの芸術感・人生観が汲みとられ、勝田という人間の純真さ、人柄が改めて浮彫にされているからである。
  • 最後に、生前、かれは自分の草稿に手を加えるよう、かねてわたくしに依頼しており、わたくしの怠慢からそのままになっていたが、今日、かれが亡くなった以上、かれが点検できぬ状態で文章に加筆することは、かえって損うことのほうが多いと考え、原文のままにしておいた。


なおこのあとがき中、『この男は煙草とコーヒーで生きているようにみえた。』 というくだりがありますが、この文が無意識の中で生きているらしく、現在の私もそれに近いですね。またフラメンコについても記載があり、私の好みはまるっきり勝田保世さんの文章に影響されていることもよくわかります。(駄文重ねてもしょうがないので、後日別途書いてみます)


なお、逢坂剛さんの著書 「スペイン読本 」 にも勝田さんの文章が載っている様なので、復刊ドットコムに投票しました。わたしの追加したコメントは;


https://www.fukkan.com/fk/VoteDetail?no=8349

私がスペイン、特に南部アンダルシアに惚れ込むきっかけとなった文章群の様ですネ。勝田保世さんはじめ、本当に懐かしいお名前がずらっと−−−
これだけまとまったスペインへの恋文集はずっと残して行くべき。ある時代のスペインの描写および各々のおもいが詰まった書籍の筈です。


次回は、勝田さんとは全く別の形・意味で「惚れ込んだ」 、山岡朋子(横山朋子)さんの翻訳について記すことに。(ただしコロンビアで、政府軍による民間人の殺戮行為に関して動きがありますので、記事は前後するかも)