遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

エルサレム賞授賞式での 村上春樹さんスピーチ: 多分 その3

前回 『−−−おかしなフィルターを通っていないこの記事だけをじっくり読んでみることに』 と決めた通りに全文と思われる記事を読んでみました。

ひとことで言えば、文学賞の授賞式というTPOから大きくかい離しない範囲で、文学者らしい表現で 「脆い人間のために元々は作ったはずの体制やら仕組みに振り回されることへの警鐘」 を鳴らされた、と感じています。


概ねスピーチの順に言うと、

  • 巧妙なウソを組み立てることで称賛されるのが小説家であるが、今日は出来るだけ率直に私の考える真実を述べるつもりである。特定の国家や戦争を支持しない立場からは、政治的なメッセージではなく小説の形で発信すべきであろうが、もっともらしく見えるフィクションを組み立てるにしてもまず隠れた真実を把握する必要がある。
  • 千人以上の非武装の市民が亡くなったガザ地区での激しい戦闘への抗議の意味で、出席しないほうがよいと云う助言やら書籍ボイコットの脅しがあったにもかかわらずこの場に来て話すことを決めたのは、大多数の人と反対のことをしたがる、自分自身で実際に見たり触れたりしなければ信用出来ないと云う、小説家の天の邪鬼さによる。さんざん考えた末の結論である。


以上前置きのうえで、

『小説家としての私のこころに刻み込まれているのは、高くて強固な壁と、それにぶつかって壊れてしまう卵があれば、私は常に卵の側に立つことである』 旨最初に宣言し、その比喩について説明を行っています。

    • 「卵」 の意味するところは、国家や人種や宗教を超えた、人間個々人。我々は皆、脆い殻に包まれた誰とも違い置き換えのきかないたましいであると言える。私が小説を書く唯一の理由は、個人のたましいの崇高さを浮き出させて光を当てること。
    • 「壁」 とは 「システム」 であり、本来は、脆い卵を守るために人間が創り出したもの。


で、村上さんのメッセージの中核は、"The System did not make us: We made The System." のコトバに凝縮されています。「仕組みが我々を創ったのではない、我々が仕組みを創ったのである」 くらいの意味ですね。


そのうえで、

脆い卵があまりにも高くて強固な壁に勝てるとしたら、それは、自分も他人も置き換えのきかない個性であることを信じ、こころをあわせることで得られる暖かさ以外にはありえないと思うが、皆さんはどう思われるか?

と問いかけ、エルサレム文学賞授賞およびスピーチの機会を与えてくれたことに対する感謝の言葉で締めくくっています。


従い、以下は村上さんの著作を読んだことの無い私個人の私見ですが、この発信はイスラエルと云う国家による非人道的行為を暗に批判はしているものの、おっしゃりたかったことはもっと普遍的なレベルで、国やら戦争やらといった、もともとは人間を守るために考え創りだされた仕組みに振り回される愚を指摘したうえで、人間個人のため、と云う原点に立ち返りましょうと云うことではありませんかね? この観点には、私は諸手をあげて賛同します。私流に言い換えれば、他人の身になって考えるのは意外と難しいが、誰よりも愛しい自分の身に置き換えた時にどうなんだ、ということですね。


−−−村上さんは滅多にこの様な場には出席されない、と読んだことがあります。それを曲げてでも出席されたのは、受賞者にしか与えられない機会をとらえてよほど発信されたかったのでしょう。なかなかできることではありません。まして文人には。これを我々日本人がどうサポート出来るか?国内でも思い当たることはたくさんありますよね?


なお蛇足ながら、このスピーチで、村上さんの小説に対する考え・姿勢も述べられており、共感出来る部分が多かったと思います。横山朋子(山岡朋子)さん翻訳のアルゼンチンの小説 『ルス』 について考察するに当たってのヒントがあったので、その意味でも何回か読み直してみる価値アリですね。


とりあえずこの内容で公開しますが、追って加筆訂正行うかも知れません。