遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

私の大好きなフラメンコのこと その3: アントニオ・ガデスさんの踊り

先日 女王カルメン・アマジャ の紹介の際、Los Tarantos - 邦題『バルセロナ物語』でもちらっと紹介しましたが、今日は踊り手のアントニオ・ガデスさんのことを;


題名=Antonio Gades in Los Tarantos

この、あまりフラメンコに馴染みのない方でも親しみやすい4拍子のファルーカの踊りは、場所の設定も含め粋でリクツ抜きにかっこいい!って思いませんか?よく言われることですが、フラメンコと闘牛は裏と表、軟と硬:フラメンコの踊りの中には闘牛士の動きを模したものが多数ありますね。そういえば昔確かプエルト・デ・サンタマリアの闘牛場で観たパキリ*1のバンデリジャ(飾り付きの銛)打ちの美しさ・動きの粋さに涙が出るほど感激したことが忘れられません。

この映画を見ていると、優れたフラメンコの踊り手は同時に優れた俳優でもあるのかも、と思えます。表現の仕方が違うだけですからネ。ましてガデスさんはご自身の舞踊団を率いるだけの能力もお持ちでしたから、この映画への関与も大きかったのでは?


来日経験もあったと記憶しますが、残念なことに2004年7月20日午後5時、スペイン・マドリードの病院にて逝去。享年67歳、ガンであったとのこと。


共産党員でもあったガデスさんは、1975年に初めてキューバを訪問されて以来同国とスペインを行き来された様ですね。キューバ革命に深く共感され、フィデル・ラウルの知己も得て、キューバ共産党名誉党員でもあった。本人の生前からの希望により遺体はマドリードで荼毘に付され、遺灰はご家族の同伴無しでキューバ大使館員の手により火葬場からキューバへ搬送され埋葬されました。最近、生前ガデスさんのお気に入りであったハバナ旧市街のカテドラル広場にブロンズ像が設置されたそうです;


写真の出典;
http://www.elmundo.es/elmundo/2007/05/16/cultura/1179310274.html

以下サイトでは、広場の360°ビューが見られます;

http://www.cubasi.cu/vistaspanoramicas/antonio-gades.htm


−−− ガデスさんはスペイン市民戦争が始まった1936年アリカンテ生まれ。共産党員であった父親は反ファシズム勢力としてマドリード戦線で参戦。戦後家族でマドリードへ引っ越され、ガデスさんは家計を助けるため11歳で学校中退を余儀なくされ職を転々とされた様です。あるバル(お酒も飲める、小さなレストランの様なもの)で小銭のために踊っていた時、著名な舞踊家ピラール・ロペスに見出され、爾来彼女の舞踊学校で広くスペイン民族舞踊を習得後最終的に同舞踊団のメインダンサーまで昇りつめられ、その後独立された経歴をお持ちです。

ただしガデスさんはその政治的な主張から、結成の1974年以来、ご本人の死を乗り越え現在のアントニオ・ガデス舞踊団に至るまでには紆余曲折がありました。スペイン舞踊界に大きな足跡を残されたガデスさんについては様々なサイトがありますが、ここでは来日公演時の宣伝サイトなど紹介しておきます;

http://www.japanarts.co.jp/html/antonio_gades/program.htm
http://www.gades.jp/  本年2月28日〜3月4日ですよ!!
http://jspanish.com/antonio2/index.html

アントニオ・ガデスの踊りは本質的に大衆的な伝統を深めたものであって、その功績は、正しく民衆の表現力という根を洗練された舞踊に植え変えたところにある。」 J.M. カバジェロ・ボナルド 作家

https://www.esflamenco.com/bio/ja10498.html より抜粋

これが、ガデスさんの生きざまを端的に表している言葉と思います。合掌


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*1: Francisco Rivera Pérez "Paquirri" 1948〜1984、コルドバの闘牛場で闘牛士人生を全うされた名高い闘牛士