遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

翻訳家 山岡朋子さん その19 ノーベル平和賞授与 署名活動の依頼の記録

"A VEINTE ANYOS, LUZ" (邦題 『ルス、闇を照らす者』の原著)は残すところ第3部(1995−1998)のみとなり、多分今日中に読み終わりそう。

息抜きにネットで過去の記録を調べていましたら、『ルス、闇を照らす者』出版が予定されていた2001年6月に、アムネスティー日本事務局から以下サーキュラーが発信されていたことを知りました。今更、の感はありますが、山岡(横山)朋子さんの活動実績として是非紹介したく;


出展:鍼(医療用のはり)を送る会HP → アメリカ大陸の国々 → アルゼンティン共和国 → 五月広場の祖母たち(アムネスティ アーカイブより)

http://www.ne.jp/asahi/hari/nature/estados/argentine/mama_de_may.html

☆1

関係各位

アルゼンチンの「五月広場の祖母たち」が今年のノーベル平和賞にノミネートされたそうで、賞の授与を求める署名活動の依頼を転送します。協力できる方、よろしくお願いします。
   森原 秀樹(アムネスティ日本/事務局)


連絡先などは当時のものなので省略、

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推薦状(和文と英文)だけではよくわからないと思い、プロフィールを書き加えてみました。お忙しい中、本当に申し訳ないですが、提出期限が今週木曜と迫っています。よろしく。  横山とも子

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 本年度ノーベル平和賞に、アルゼンチンの「五月広場の祖母たち」がノミネートされました。つきましては、以下の趣旨にご賛同いただけるようでしたら、是非とも下記の推薦状にご署名していただきたく、本状をもってお願いする次第です。

 選考委員会への推薦状提出期限は6月14日となっております。お手数ですが、英文推薦状の最後に、氏名、職業、国名(Japan)を英語でお書きの上、premnob@attglobal.netへ送信くださるよう、切にお願い申しあげます。


で書き出されています。『ルス、闇を照らす者』の翻訳を完了された直後に慌ただしく発信された様ですね。


 「五月広場の祖母たち」は、アルゼンチンの軍独裁期(1976年〜1983年)に行方不明となった家族を捜索している女性たちです。当時反体制派とみなされ、行方知れずとなった人々は三万人ともいわれ、そのうち乳幼児は五百人に上っています。両親と共に拉致された子どもや、強制収容所で生まれた赤ん坊の中には、軍関係者の家庭に奪われた子も大勢いました。

 「祖母たち」は、行方不明者の消息を尋ねる新聞広告を掲載し、行方不明者が出産したと言われる病院を調査し、血液学を利用して親子関係を確認するなど、さまざまな方法で捜索を続ける一方で、国際的にも人権擁護諸団体に軍部の人権弾圧を訴えてきました。

 行方不明者の母親や祖母たちの活躍は映画化され(『オフィシャル・ストーリー』1985)、また、小説にも描かれています(「A veinte anos, Luz」1998、邦訳『ルス、闇を照らす者』ソニー・マガジンズ、6月末日出版予定)。この小説を書いたのは、アルゼンチンの作家であり、本推薦状の発起人のひとりでもあるエルサ・オソリオ女史です。(軍人の孫娘として育てられた女性が、息子の出産を機に自分の出生に疑問を抱き、ルーツを探し始めるという内容です。アルゼンチンでは現在、この小説の主人公と同じように、自分は本当は行方不明者の子ではないかと疑いを抱いている若者が大勢います。著者はこうした若者たちに希望の光を与えたいと願い、この小説を書きました)

「祖母たち」の活動は今も続いています。自分のルーツを探し求めて「祖母たち」の元へ相談に訪れる若者は、後を絶ちません。

 中南米諸国では、軍事政権が崩壊して文民政権へと移行しましたが、当時の残酷きわまる人権弾圧は、まだ解決されたわけではありません。今日もなお、世界の多くの国々で、臓器摘出や違法な養子縁組などを目的とした、子どもの誘拐や売買がなされているといわれています。最も弱い人々に対する非人道的な扱いを阻止し、このような不幸な状況をなくさない限り、本当の意味での平和な社会を築くことはできません。この意味で、民間の名もなき人々によって担われた「五月広場の祖母たち」の活動は、アルゼンチンだけにとどまらず、地球規模の広がりと、普遍的意義を持っていると思われます。


これに続いて推薦文の日本語訳・英語原稿が掲載されています。さらに第2項として、amnesty からの情報として、石川治子さん(日本カトリック正義と平和協議会)による告発も掲載されています。


Wikipediaによると、この年の同賞受賞は国連のアナン事務総長および関連機関(UNEP:1972年6月、ストックホルム開催された国連人間環境会議で採択された「人間環境宣言」および「環境国際行動計画」を実施に移すための機関として、同年の国連総会決議に基づいて設立された『国連環境計画』)に授与されました。

アナン事務総長は気骨の人でしたから個人的には大好きでしたが、実質超大国に私物化された国連が受賞してどうする、って気がします。結局ノーベル賞ってその程度のものですね。ミスxxxコンクールと大差無い、ってのは言い過ぎでしょうか。Wikipediaによると、


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E5%B9%B3%E5%92%8C%E8%B3%9E

マハトマ・ガンディーは、1937年から1948年にかけて、計5回ノーベル平和賞の候補になったが、本人が固辞。この事実は、数十年後にノーベル・コミティーにより公開された。


真に平和に貢献している人や団体は、常に、賞とは無関係のところにいらっしゃる。日のあたらないところで地道に活動されている彼らをこそ支援すべきですね。「五月広場のおばあちゃんたち(祖母ってぇと、どうも冷たい感じがするので)」の活動を紹介した原著の作者エルサ・オソリオさん、それを翻訳なさった山岡(横山)朋子さん達の活動は無駄ではありません。どうか、発信し続けて欲しい。


『ルス、闇を照らす者』の第1部は1976年の設定、第2部は1983年、そして第3部は冒頭に記したとおり1995−1998年です。1976年?私はまだ学生でしたね。1982年から80年代末まで中南米とのビジネスに直接関わっておりましたし、軍政時代の闇については認識していたつもりですが、じゃあお前は何か行動したか? と考えると、自己嫌悪に陥りそう。


結局息抜きにはなりませんでした。


山岡(横山)朋子さんの署名活動については今日初めて知った次第。改めて惚れ直しちゃいました。これって、多分翻訳にも大きく影響している筈です。