米欧によるアフリカでの犯罪行為の1例: 50年前、コンゴ民主共和国での凶行
※ 1961年1月17日〜18日処刑
出典: ウィキペディア (下掲)
◆Patrice Lumumba: 50 Years Later, Remembering the U.S.-Backed Assassination of Congo’s First Democratically Elected Leader
January 21, 2011, DEMOCRACY NOW !
Guest: Adam Hochschild, author of several books, including King Leopold’s Ghost: A Story of Greed, Terror, and Heroism in Colonial Africa and the forthcoming To End All Wars: A Story of Loyalty and Rebellion, 1914-1918. He teaches at the University of California at Berkeley Graduate School of Journalism.
※ 民主的に選ばれた パトリス・ルムンバ さんをアメリカが間接的に暗殺してから50年を記念する記事。
●Lumumba (2000) - Plot Summary
今日現在2つの 「コンゴ」 が存在しますが、その成り立ち・構成は;
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− コンゴ王国 1400年から1914年まで、以下の国々およびアンゴラ北部にかけて存在した王国。
⇒Kingdom of Kongo - Wikipedia
比較的詳細な歴史記載あり。
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− コンゴ共和国 (ROC) 首都ブラザヴィル
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− コンゴ民主共和国 (DRC) 旧ザイール、首都キンシャサ
※ アメーバブログにて 佐藤慧 さんが、 『ブログテーマ(DRコンゴ歴史年表)|佐藤慧 −世界に魅せられて− / 2011-01-06』 を投稿されています。日本語で書かれたものとしては最新であり、佐藤さんの経歴から考えても大変期待出来る歴史になりそう。なお同氏の主催する2011年2月16日のイベント 【 講座「アフリカを知る」@グローバルひろば 】 も紹介されています。
こうして見ると、おおもとのコンゴ王国は粗暴なヨーロッパ人が来るまでは稠密な貿易網の上に成り立つきわめて高度に整備された国家であったのに、奴隷貿易によって国民・国家ともに破壊され、19世紀末にベルギー・フランス・ポルトガルによる分割 「統治」 を経て1960年に独立した後も負の遺産を引きずり続けるのみならず、米欧の有形無形の介入を受け続けていることになります。もしアフリカを暗黒大陸と呼ぶなら、それは欧米列強が食い物にした結果以外ではあり得ません。近〜現代の真の 『野蛮人』 は一体誰なのか? と問わざるを得ない。