遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

戦後64年経った今、何が未解決で残っているのか? その4

その4では、南京大虐殺についての補足と、その3で積み残した、アメリカとの接し方に関して。


まず南京大虐殺に関して: 本年5月16日付け 『オバマ新大統領発表の アフガン政策新包括戦略 Watch: その3』 の最後に紹介した ジョン・ラーベさん を扱った映画についての補足ですが、Wikipediaでは以下の様に紹介されています;

2009年に、ラーベを主人公としたドイツ・中華人民共和国・フランスの合作映画『John Rabe』が製作され、(中略)


この作品では、ラーベは利益を貪る冷徹な植民地主義者ではなく、中国人民を守るためなら日本軍将校の構えるピストルの前にも平気で身を投げ出す愛と善意の人である。また、日記 *1 でも証言されていない南京における日本軍の残虐行為が史実として描かれている。ただし、犠牲者の数について中国共産党の唱える30万人説は採っておらず、宣伝のキャプションでは「数千人が死亡か」となっている。


−−−ベルリンの失意時代に書かれたラーベの日記は、のち1996年に孫および当時ラーベ家の食客であった人物(元ドイツ中国大使)によって出版された。英語、中国語及び日本語に翻訳 *2 されている。また、一般的にこの日記は日本軍の南京における残虐行為を証言する内容を含むと誤解されているが、実際には中国人の間に日本軍による虐殺の噂があること、安全区において5件の殺人事件の通報があったことを伝えているだけで、ラーベ自身は1件の殺人も残虐行為も目撃・証言してはいない。さらに、日記では日本軍に対する告発のほかにも、難民が避難している安全区に砲台を設けたり、安全区内の空家に潜伏し、放火や掠奪行為を行う中国兵、市民を置いて逃亡した蒋介石政府と唐生智将軍など、中国側にとっても辛辣な記述があり、(以下略)


映画の場合、脚色に要注意ってことですね。オリジナルに脚色施されたものが映画となり、その映画が元となってさらに脚色され−−−と、際限なく利用者に都合よく変えられて行く可能性がある。検証するには出来る限り原作に近づく努力が必要ゆえ、質の良い翻訳があるとおおいに助かりますね。


で、今回の本題; アメリカあるいは英米との接し方を根底から見直すことについて。7月26日付け 『オバマ新政権の軍事政策 Watch: その13 オバマのガーナ訪問のこと』 で紹介した 米国モデルの輸出:市場と民主主義 *3 がもっともよく本質を表していると思いますので、改めて以下関連部分のみ抜粋して紹介します;

    • 問題になっているのが「民主主義」であるとき、手段を正当化するためにその目的を使う(民主化するために戦争をしかける)という誤りを犯し、そしてその過程で[民主主義を伝導しようという]神がかり的使命感をもつ国の指導者達はつねに変わらず、自信過剰、人種差別、傲慢という罪に感染しているのです。
    • マッカーサー将軍のGHQ本部が、完璧に民主的な「1947年の憲法」を事実上執筆し、それを日本の民衆に授けたということです。このとき日本の民衆は、それを受け入れる以外に選択肢がないという状況下にあったのです。

      ハンナ・アーレント *4 は、1963年に出版された『革命について』“On Revolution” *5 という本の中で、「政権によって国民に押しつけられた憲法と、国民が自らの政権を制定するときに武器として用いた憲法の間には、権力と権威において、巨大な違いがある」ということを強調しています。

      ハンナ・アーレントは、「第一次世界大戦後のヨーロッパでは、事実上あらゆる場合において、押し付けられた憲法は、政治を独裁制へと導くか、あるいは権力・権威・安定性を欠くことにつながってしまった」と述べています。
    • かくして日本は、独立した民主主義国家として発展するというよりもむしろ、冷戦時における従順で扱いやすい米国の衛星国家となり、さらには極端に硬直した政治制度をもつ国家になってしまったのです。


「米国は世界を進歩させる最高の商業的・道徳的お手本であり、また世界の紛争を裁く公認の裁決者である」 などと云う馬鹿な幻想を持っているならそれを捨て去ることですね。反米であれ、と推奨している訳ではありません。アメリカが日本の対等のパ−トナーであると思うならそれはそれで結構ですが、もっとパートナーのことを知れ、と云うこと。また明日の終戦記念日に際して、日本国憲法金科玉条の如く扱うことが正しいこととは思えない。憲法は日本が戦争に参加しなくて済む免罪符ではありません。貴重な平和憲法だから死守しろと云うのであれば尚更のこと、アメリカに追従するのは論理の破たんと言わざるを得ません。死守したいなら憲法前文や第9条を本当に一字一句真面目に読むべきです。ひたすら内側だけを向いて日本だけが平和であればよいのですか?これだけ世界中が相互依存・補完しあうご時世ですよ。


歴史番組 (これ程操作しやすい番組はありません。ヒストリーチャンネルなど非常にスマートな宣伝を展開しており評価する視聴者も多い様ですが、幾つかのアメリカが当事者となっている史実に関しては明らかに偏っていますね) などでは色々きれいごとに飾られていますが、現憲法終戦時押しつけられたものである、と私は認識しています。国民による見直しは絶対に必要と考えますが、見直しイコール平和精神の破棄を意味しません。国防イコール武装ではない筈です。無い知恵を絞って考えそれをカタチにしたものだけがこの国の憲法であるべき。ヒジョーに悪く言うなら、原住民を皆殺しにして建国した国の人間が作ったものを見直しもせず自国の根底に据え続けるのは我慢なりません。「xxを勝ち取った」・「自然を征服した」 に代表される、勝った負けたの弱肉強食的な発想は過去のものとしたいですね。


アメリカ (と云うより欧米) のやってることはおかしいな、と云うことは、特に途上国へ出張などで行く機会のあるビジネスパーソンなら、余程不注意で無い限り、様々な形で認識させられます。別に海外へ出なくとも、また外国語はわからなくとも翻訳の助けを借りて、日本xx新聞などアテにせず自分でものを観ようと心掛けていれば同じですが。でもそれを発信することがなかなか出来ません。睨まれたくないから。


アメリカに進出している(=相当規模の売り上げに基づき、資本を投下して雇用・生産・販売もおこなっている) 企業TOPの認識は恐らくどこも似たようなもので、 『外国資本に市場を開放してこれだけ自由に企業活動を行わせてくれる巨大市場がアメリカ以外どこにあるか。その点は感謝すべきである。アメリカは、その是非は別として明確な戦略に基づき外交を展開しているのは事実。それに比べて日本は−−−』 が本音では? アメリカでの単なる販売不振でさえ巨大企業の屋台骨を揺るがしかねないのに、まして対米従属を本気で見直すとなると様々な形で報復が想定されますから、産業界としては最低限現状維持したいでしょう。


では産業界を、言いかえると雇用を守るため隷属を続けるの? ってことになりますが、遅かれ早かれ日本はアメリカに見捨てられますよ。日本を代表する某起業家のコトバに、『松明は自分の手で』 と云うのがあります。暗闇の中先頭者のかざす松明について行く分には楽でよいが、それを吹き消されたらどうするの? って意味ですが。このままではこの国、気が付いたら暗闇でひとりぽっちになりますよ。相当の痛みは伴うものの、早めにこの先の行き方を自分で決めないと。

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*1:終戦までベルリン本社で海外出張する社員の世話をする庶務係として勤務した失意の期間に何年にも渡って書き綴っていた、後に「ラーベの日記」として再発見されることになる草稿

*2:南京の真実 (講談社文庫) 、文庫: 381ページ、出版社: 講談社 (2000/09)、ISBN-10: 4062649942、ISBN-13: 978-4062649940 と思われます。

*3:この資料は 寺島研究室「別館」HP に09年3月18日公開されたもの。オリジナルは Exporting the American Model: Markets and Democracy 、長いものではありませんので一読をお勧めします。なお数多くの著書があり日本の歴史・政治にも詳しいチャルマーズ・ジョンソン教授の経歴は http://en.wikipedia.org/wiki/Chalmers_Johnson:TITLE=Wikipedia "Chalmers Johnson" 参照。相当日本語ページはあまりにチャチなのでお勧めしません

*4:ドイツ出身のアメリカ合衆国の政治哲学者、政治思想家。経歴については ウィキペディア 『ハンナ・アーレント』 参照。

*5:翻訳が出版されています。文庫: 478ページ、出版社: 筑摩書房(ちくま学芸文庫) (1995/06)、ISBN-10: 448008214X、ISBN-13: 978-4480082145