遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

翻訳家 山岡朋子さん その49: 南米ベネズエラのこと その2 イレネ・サエスさん

前回ミス・ベネズエラのことを書きましたが、やはり忘れられないのは1981年のミス・ユニバースに選ばれた Irene Lailín Sáez Conde さん。蛇足ですがこの1981年には、同じベネズエラから Carmen Josefina “Pilín” León Crespo さんがミス・ワールドに選ばれています;


左がPilínさん、右がIrene さん
出典: http://missvenezuela.homestead.com/irene.html


毎年世界中で数限りないミス・コンテストが開催されておりイレネさんはそのおひとりに過ぎませんが、その後の経歴は通常の(?)ミスxxxとは決定的に異なります。お歳をとられても美しく聡明なベネズエラ女性と思いますので、以下主に Venciclopedia および西語版・英語版 Wikipedia の記事他から略歴を紹介することに;


  • その後UCV(ベネズエラ中央大学)で政治科学を学んだ後政治の世界へ入り、1993年〜98年の2期に渡り、ご自身の生まれたチャカオ区長 (カラカス市を構成する5区のうちのひとつ) を務める。チャカオ区はカラカス市の中でもコンパクトで人口密度が低く、富裕層が多く市財政も楽であった、と云う事情はあるにしても、在任中に管理業務の効率を劇的に改善し民間企業と遜色ないレベルにまで引き上げたこと、および警察制度を見直して治安を改善したことが評価されています:



    題名: RCTV "Ocurrio Asi "Irene Saez Alcaldesa de Chacao 1997
  • 1999年、知事急逝により空席となったヌエバエスパルタ州の州知事に立候補して圧勝。しかしイレネさんはそこで生まれた訳でも住んでいた訳でも無きため多くの批判を浴びた様です。
  • 2000年妊娠を機に政治の世界より引退、2002年よりアメリカ合衆国フロリダの Colonial BancGroup 勤務、2003年より同行の広報担当役員。2006年3月に3度目の結婚、2人目の夫との間に1男あり。(この点ゴシップネタゆえ詳細は省略)


     2000年ご出産!
    出典: http://missvenezuela.homestead.com/irene.html

−−− 美貌や知名度の高さで一発選挙に勝つことはそんなに難しいことではないのかも知れませんが、実際に政治家として実績を挙げて再選されること、結果的にはチャベス人気に押し潰されたものの大統領候補にまで上り詰めるのは、余程の能力や手腕が無ければ出来ることではありません。


今回敢えてイレネ・サエスさんをとりあげたのは、勿論私個人の思い入れや好み(?)もありますが、ベネズエラにおける女性の社会進出の話題へつなげるため。前回紹介の講演会 「ベネズエラ文学を語る」 の中で話題になりましたのでね。


その3へ続く。