遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

翻訳家 山岡朋子さん その28  『ルス、闇を照らす者』 : Elsa Osorio さん と 村上春樹さん

村上春樹さんの演説に関して、Elsa Osorio さんのおっしゃっていることと共通するところがあることに気付いたので、その紹介を;


村上さんはそのスピーチの中で、

−−− Namely, that by telling skillful lies - which is to say, by making up fictions that appear to be true - the novelist can bring a truth out to a new location and shine a new light on it. In most cases, it is virtually impossible to grasp a truth in its original form and depict it accurately. This is why we try to grab its tail by luring the truth from its hiding place, transferring it to a fictional location, and replacing it with a fictional form. In order to accomplish this, however, we first have to clarify where the truth lies within us. −−−

出典: http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.html より抜粋


−−− 巧みな嘘をつくことによって―つまり真実のように見えるフィクションを作り出すことによって―小説家は真実を新しい場所に運び出し、真実に新しい光を当てることができるのです。たいていの場合は、真実を本来の形のまま理解したり、それを正確に描写したりすることは、実質的に不可能です。こういうわけで、小説家は、真実をその隠れ家から誘い出し、虚構の場所に移し、虚構の形に作り変えることによって、真実の尻尾をつかみ取ろうとします。けれども、これを成しとげるためには、小説家はまず私たちの内にある真実の居場所を突き止めなければなりません。 −−−

出典: http://d.hatena.ne.jp/m_debugger/20090218/1234917019 より抜粋


一方、Elsa Osorio さんは;


−−− Creo que la literatura es un camino oblicuo hacia la historia. Curioso, la ficcion, un conjunto de mentiras, puede a veces acercar a la verdad mas -o de manera diferente- que la propia historia. Con esta novela intente romper el circulo de la mentira, porque creo que no se puede tapar lo que paso en la Argentina. No soy de la idea de poner el dolor en primer plano, pero digo que hay que saber. Sucedio tal y tal cosa, y de ahi poder vivir −−−

出典: http://www.rionegro.com.ar/arch200308/c02p01.html より抜粋


2003年8月2日付け "Rio Negro" 紙に掲載された、同紙のインタビュー記事からの抜粋、拙訳は;


−−− 文学は歴史へつながる道であると思う。興味深いことに、嘘の集まりであるフィクションは、時によって歴史そのものより近く、あるいは別の方法で真実に近付くことがあります。この小説(ルス、闇を照らす者)で試みたのは嘘の連鎖を断ち切ること。アルゼンチンで起こったことにフタをすることは出来ない訳ですから。私は痛みを前面に押し出すつもりはありませんが、真実を知ることは必要です。これこれのことが起こった、全てはその認識から始まります −−−


Elsa さんコメントについては気の利いた訳でなくて申し訳ないのですが、お二人は見事に同じことをおっしゃっている様に思えます。

考えてみれば、歴史と真実とは別物ですね。自分の目の前で 「起こる」 真実でさえどの様に見るかで幾つもの意味を持ち得ますから、まして誰かが書いた歴史ほど主観的なものは無いのかも。優れた文学は歴史よりも真実に近いってことは何となくわかる様な−−− 頭の不自由な私にでもね。