遊蕩爺の漂浪メモ

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ロヒンギャ 人権問題 〜 続報 その17: 現地通による取材と研究成果 『ミャンマーのロヒンギャ問題とは何か?』

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秀逸な取材と研究成果の紹介;


ミャンマーのロヒンギャ問題 – 検索結果 – アジアプレス・ネットワーク
 『ミャンマーロヒンギャ問題とは何か?』 シリーズは26記事;

私の正直な感想は; 記事数多く、いかにこの問題がフクザツなのかを現地通として滔々と説明。フォト・ジャーナリストなる写真屋さん? ゆえ仕方がないかなと思いつつも私はイライラしながら読み進めましたが、どうもスーチー擁護が記事の目的のひとつと思われる;


一見もっともらしく聞こえるが、卑近な例として子どもに対する虐待を観れば; 社会的な背景、複雑な家庭事情、法の壁 −−− 等々問題は複雑なので簡単には解決出来ません、と言うのと同じ。問題の複雑さ・根の深さ・デリケートさが静観どころか無作為の言い訳にされているだけで、その間にも虐待はエスカレートし、ついにはいのちが失われてしまうケースが少なく無いのは周知の事実。


まず法の強制力を以って虐待を止めさせないと。それが出来ないなら、ミスコンと同レベルのノーベル賞は放っておくとしても 『人権の擁護者』 なる看板を下ろすべき。スーチーはどこにでもいる権力志向の強い政治屋であって、親父さんの様な希有の英雄では無いのだから。


まず大統領になってそれから解決、なんてのは詭弁。「私に・オレに▲▲があれば●●できるんだけどなぁ」 ってボヤく、どこにでもいる手合いと同じ、たとえ▲▲が手に入っても●●は出来ない。本当に●●が出来る人間は、▲▲が無くてもやりますって。人が付いて来ますから。スーチーはその器にあらず西側のかいらいとして優秀なだけ、残念 −−−

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