遊蕩爺の漂浪メモ

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沖縄戦終結69年「慰霊の日」 vs 『戦争のできる国』

平成26年沖縄全戦没者追悼式の開催について / 沖縄県  慰霊の日 / 6月23日  沖縄戦 / 1945年3月26日-6月20日



沖縄では69年目の 「慰霊の日」 追悼式典が執り行われます;

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6月23日 慰霊の日 テレビ特別番組 RBC琉球放送 - 感動、未来RBCおかげ様で60周年


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その一方、『選挙の度有権者の支持を得る』 軍事ヲタク政権が時代に逆行して周辺国との軋轢を煽り再軍備を目指す中、日本を 『戦争のできる国』 にすべきと云う詭弁が堂々と主張され、若い人の間でもそこそこ支持されている様子;


以下ある歴史上の人物のコトバですが、 『強い日本』 を目指す皆さまの隠れたバイブルになってる様ですね;

  • 生きようとする者は戦わなければならない。この永遠の格闘の世界で、争うことを望まない者は生きるに値しない。
  • 自由は戦いによって得られる。泣き言は通用しない。自分の意見を他人に認めさせるか、屈服させるかである。自らの力で自らを守れない者は、強い者に従属させられるものだ。例え弱くても、拳で自分を守るだけの意気地をもつべし。
  • 我々が世論と言っているものは大半が絶え間無い啓蒙によって呼び起されたものである。世論は人為的に作られ、移ろい易く、絶えず啓蒙しておく必要がある。
  • マスコミは下衆である。この下衆が所謂世論の2/3を製造し、その泡から議会主義という神の愛が生まれたのだ。口当たりの良い言葉を用いるマスコミや人間は自己の利益のみに動くか、単なる馬鹿である。用心すべし。
  • 理念は飽くまでも目的のための手段であり、それ自体が目的である様に自負すると危険になる。平和という理念を実現するために戦争を放棄すれば国体は滅びるのだ。
  • 名誉無き市民は生きるに値せず。自分の大切な名誉を簡単に捨てる人間を、いったい誰が信用するだろうか。自分の名誉さえ簡単に捨てるのだから、他人の事はそれ以上に軽いだろう。日本も奴隷になっても戦わないべきだ、名誉ある降伏をしようと言う文化人がいるが、それはプライドの無い馬鹿者の言である。後々自分がどう扱われるのかを考える事が出来ないのだ。これを真に受ければカルタゴと同様の理由で日本は滅びそうである。降伏に名誉などない。敵は抵抗する者にはそう手出しが出来ないが、降伏した者には残酷である。いじめも同じ理由でおこる。



そんな軍事ヲタク政権を率いる 『愚かな坊ちゃん』 が追悼式典に出席すること自体、沖縄戦での犠牲者の霊に唾を吐きかける行為としか、私には思えませんね。聞く耳は持たないだろうけれど;

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