遊蕩爺の漂浪メモ

『翻訳家 山岡朋子ファンクラブ初代会長の日記』 より移行

太地町の捕鯨 (イルカを含む) −−− 伝統やら文化だけでは 「国際社会」 皆さまを納得させられない

← 勘違いした無法者: エコテロリスト、カルト集団 2010-01-08  捕鯨

 太地町(たいじちょう)
← ホモ・サピエンス以外の動物: 野生動物、 家畜、 『ペット』 2011-10-31

← 巨大マンタ: 人間の食用になるのは仕方がないが、絶滅の危険はないの? 2012-09-05

← ポール・マッカートニー 2012-03-14



現在わかっている範囲で知能が高そうな、ホモ・サピエンス以外の生き物の殺生はケシカランって云う 『西側先進国』 の独善には辟易するばかり。牛や鶏などは知能が低いから殺して構わないと云う論理だろうけれど、彼らだって犬や猫同様人間と気持ちを通じ合える生き物だし、将来その 『知能の高さ』 が判明したらどうするつもりか? また、クジラやイルカの殺生には目くじらを立てるくせに、自分達以外のホモ・サピエンス (特に色付きの) の殺生に無頓着なのは一体どういうことか?

シー・シェパードをはじめとする暴力的な糞っ垂れが長年居座っていると云う事実は、時間をかけても彼らを納得させられない、あるいはバカの壁を崩せないことを意味します。彼らを納得させられなければ、日本の憧れの? 『国際社会』 皆さまはまして納得させられないとも言えるでしょう。たとえそれが日本の伝統であり文化であっても。


領土問題やら先の戦争責任に関する議論などともごく僅かながら通ずるところがありそうですが、自分達が 『正しい』 と考えることを真摯に主張し続ければ必ず認められるとは限りません。『正しい』 なんてこと自体に普遍的な基準などありませんから、所詮勝ち組に加わるために妥協するか、負け組でもそれに固執するかの両極端の間を行き来している様な気がします。一般論として、相手を変えることは出来ない、折り合うためには自分を変えるしかない、ってこともあるし。


損得勘定で言うなら、クロマグロだのクジラなんて食べられなくたって別に死ぬ訳じゃない、過去の伝統文化として資料を保存することで取り敢えず封印してしまう選択肢もありでしょうね。将来生体数が増え過ぎた時、あるいは食糧危機が訪れた時にはまた復活せざるを得ないだろうし。

.