遊蕩爺の漂浪メモ

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相模原市緑区 青根小学校 木造校舎全焼

幸いにして人的被害は無かった様ですが −−−



 神奈川最古の木造校舎全焼 相模原、未明に発生
 KYODO NEWS 【共同通信社】、2016/04/03 に公開


主な報道;

青根小学校および相模原市登録文化財でもあった同小の木造校舎に関しては;


相模原市立青根小学校 Home



  •  緑区SFF6th 大賞 ドキュメンタリー部門 青根っこ
     CityOffice Sagamihara、2016/02/28 に公開
    • 児童減少続く相模原の小学校には2人入学、人口増の開成町では新しい小学校に新入生87人-神奈川県内
       公開:2010/04/05 23:49 更新:2015/07/04 22:30
       ”山梨県境にあり、児童数の減少が続く相模原市立青根小学校(同市緑区青根)には男の子2人が入学した。「地域の宝」を祝福しようと、住民に見守られながらの出発の門出となった。在校生の花のアーチに迎えられた2人は、式の途中に間違って起立する場面もあったが、元気に入学式に臨んだ。青根駐在所のお巡りさんも出席し、「6年間、事故に注意して学校に通ってください」と激励。2人の両親は「地域の人に見守られて、伸び伸びと育ってほしい」などと話していた。創立138年目になる同校は、1940年代には児童数が300人を超えたこともあったという。しかし、子育て世代の都市部への流出が続き、2010年度の児童数は2人を含め17人となった。2人は2年生1人と一緒に複式学級で授業を受ける。長谷川玄治校長は「小規模校の特徴を生かし、手厚い教育を行いたい。2人に学校が好きになってほしい」と話していた。
    • 木造校舎の化粧直し終了、県内で唯一現役の青根小学校-相模原
       公開:2009/11/15 19:44 更新:2015/07/04 22:30
       ”同校の校舎は2階建て、総床面積は約1230平方メートル。一九四三年の建築で老朽化が進んでいたため、耐震補強に併せて改装工事を行った。改装後の校舎には、雨水を建物内に入りにくくするために外壁には板を斜めに置いて重ねる「南京下見」の工法を採用。県内産の杉の2間材(幅20センチ、長さ3・6メートル)を約1300枚を外壁に張り直し、工事前同様に黄土色の外壁に赤屋根という塗装を施した。
    • 18人+58人=交流末広がり-児童減の小田原・相模原の海山の学校
       公開:2009/07/20 00:00 更新:2015/07/07 17:07
       ”両校の交流の背景には、深刻な人口減少がある。青根地区は、高度成長期に養蚕業や林業などの地場産業が衰退し、キャンプ場経営や土建業従事者などを除いて都市部への一家移住が増え、現在は55歳以上が人口の半数を占める「準限界集落」。児童数は戦後のピーク時の223人(1959年)が、06〜08の3年間が連続して24人、ことしは20人を切った。現在は1、2年が同じ教室で学ぶ「複式学級」で、4年が欠学年。このため、運動会は中学校、地域住民と合同で開催しているのが実情だ。

私は青根に行ったことはありませんが、どうも私の原風景である定山渓とよく似ている様な気がします;

−−− 校舎が焼失したのは残念、でも形あるものは、文化財であろうが何であろうが、何時か必ず朽ち果てて無くなります。それより大事かつ誇るべきなのは、そこで学んだ・過ごした人の一生を左右する原風景となり得る諸体験でしょう。


過疎だの経済効率だのだけを考えれば学校統廃合の対象かも。さて相模原市はどう対応するか。この地域ならではの特性を活かし切れる余裕はあるかな?


同小は1873年に民家を仮校舎として開設。1928年に青根村尋常小学校として校舎が建てられたが、41年に全焼。住民が山から木を切り出して製材し、2年後に青根村国民学校として国内でもまれな総ヒノキ造りの校舎が建築された。上掲記事 より)』 ってことだから、全焼は2回目。生徒数が少ないのだから、めげずに皆でまた建て直せばよい −−− ってのは無理なハナシなのかな?

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